2018年3月7日水曜日

無量寺跡・鎌倉歴史文化交流館


鎌倉歴史文化交流館に行ってきました。思えば2014年、この施設が世界遺産ガイダンス施設・博物館として準備されていたとき、関係者にお願いして見学させてもらったこともありました。そのときは特別な配慮ということでゆっくりできませんでしたが、今回はこの個人的にも思い入れのある史跡を、堂々とそしてじっくりと見て回ることができました。ということで、今回の記事はこれまでの「無量寺跡・無量寺ヶ谷」「無量寺跡潜入」に続くある意味「無量寺跡完全版」です。


鎌倉歴史文化交流館


鎌倉歴史文化交流館は、「鎌倉の歴史的遺産・文化的遺産を学べる」をテーマにした展示施設で、2017年5月にオープンしました。同施設が所在する場所は鎌倉時代に安達氏の菩提寺・無量寺(無量寿院)があったことでも知られています。ですから展示施設だけでなく、寺院跡の見学としても楽しめるちょっと面白い場所なんです。敷地内では、本館にある平常展示と併せて別館における期間限定の特別展示を見ることができます。

鎌倉歴史文化交流館

入場料は300円と、金沢文庫の展示会などに比べると幾分リーズナブルな料金に思えますが、館内施設だけであれば、正直なところ、やはり300円が妥当だと思いました。但し、これに無量寺跡が付いてくるので、やっぱりお得です。

北条時益邸から出土した陶磁器類


無量寺跡地の歴代所有者


弘安八年(1285)の霜月騒動により、無量寺は安達氏の失脚と共に焼失し廃されていたようで、翌弘安九年には北条貞時によって無量寺跡地に万寿寺が創建されています。その万寿寺がいつ廃絶したのかはわかっていませんが、中世末期では既に刀工正宗の後裔・綱廣の屋敷がここにあったと云われています。そして時代は下って大正時代、三菱財閥の岩崎小弥太が別荘地としてこの土地を所有していました。刀匠綱廣が刀鍛冶を守護する刃稲荷を祀っていたことから、岩崎小弥太が合鎚稲荷として復興させ、その跡地が現在も敷地内に残されています。



無量寺跡の臨池伽藍


無量寺は瑞泉寺に代表される臨池伽藍の寺であったことが発掘調査の結果わかっています。ただの柱穴や礎石が見つかった程度ではここまで注目を集めなかったのかもしれません。往時では(下画像)丘陵部造作の前面に池が施され、鑓水があったことも確認されています。

無量寺庭園 往時では〇部分に池があった

下画像に水溜まりが見えるでしょうか、実はこれ雨水が溜まったものではなく、よ~く観察していると岩肌から水が染み出していることが確認できます。この辺り随分と近現代で手を加えられたのであろう様相ですが、この庭園まだ生きてます。自然って凄いですね。

無量寺丘陵部の水溜まり


無量寺跡の丘陵部造作


丘陵部でまず目に付くこの3つの横穴は、”やぐら”ではなく、用途は不明ですが岩崎小弥太が所有していた頃の造作だと現地案内板にありました。

無量寺丘陵部造作

こちら下画像の横穴が”やぐら”です。瑞泉寺のものと同じように葬送のための横穴ではなく観賞用だったのかもしれません。また”やぐら”の右隣にも怪しい造作があって、さらにその隣には階段造作があります。まさに瑞泉寺の十八曲のようです。もしくは本当にただの階段だったのかもしれません。

無量寺丘陵部にあるやぐら
中央やや右奥に階段造作


合鎚稲荷跡平場


そして前回は行けなかった合鎚稲荷が祀ってあったという丘陵上部の平場に向かいます。現代で施された階段のすぐ横に昔の階段跡となる石組みが確認できます。

合鎚稲荷道

いつからあった造作なのかわかりませんが、丘陵壁面の雰囲気が素敵です。”やぐら”らしき横穴も見えますが”やぐら”なのか微妙です。また、大した高台ではないのに意外と遠くまで景色が望めました。鎌倉市教育員会の瑞泉寺の調査報告書に「山裾の池庭(庭園)と山頂の眺望点(後山)といった上下に二段構成の空間を有する庭園は夢窓疎石の造作による特徴を感じさせるものである。」とあります。まさに無量寺も二段構成です。この丘陵中腹にある平場の原型が当時からあったものだとすればですけどね。

合鎚稲荷跡の丘陵部壁面
合鎚稲荷跡平場からの景色


謎のやぐら


建物を正面にして右側の敷地は現在(2018年)のところ立ち入れないようです。今後も立ち入れないのか、それとも準備が整っていないからなのかわかりませんが、とりあえず前回に訪れたときの画像を併せてこの立入禁止エリアの造作をお伝えします。こちらは随分と丘陵壁面が削平されていますが、”やぐら”らしき横穴がいくつか確認できます。

ずいぶんと削平されてしまった丘陵部壁面
怪しい造作

そして何とも妖しげで美しく見たこともない”やぐら”があります。切石のような造作の上に石像仏が祀られています。

謎の横穴

さらに驚くことに、この石像仏の両脇に横穴が続いています。こんなタイプのものを見たことがないので、この時点でこれは”やぐら”ではないかもしれませんが、奥に入ると意外なことに、掘り方がそれほど近代的ではなく、しかも家形(切妻)をしています。なんなんでしょうねこれ。

奥にある右側の横穴

ちなみに敷地外にも”やぐら”があります。こちらはちょっと大きめで、下画像右側の”やぐら”には副室もあるんですよ。

敷地外にあるやぐら

ということで、いかがだったでしょうか。鎌倉遺構探索的にはお寺(跡)に展示施設が付属している感覚ですが、それなりのボリュームがあって楽しめました。数ヶ月毎に特別展のテーマが変わり模様替えをするようなので、HPをチェックして自分好みの特別展があったら訪れてみてはいかがでしょうか。


無量寺か万寿寺か


『吾妻鏡』文永二年(1265)6月3日条に、秋田城介義景の十三回忌が無量寿院で行われたとあります。そして北条貞時の妻で高時の母である安達氏出身の円成尼が夢窓疎石に深く帰依していたことは有名で、元弘の乱(1333年)の後、彼女が伊豆で開いた円成寺も臨池伽藍のお寺であったことがわかっています。ですからこの無量寺跡に残された瑞泉寺のような庭園は、彼女の指示で造営された可能性も考えられます。但し、円成尼は霜月騒動を生き残った庶流の安達氏の出身であるため、貞時が万寿寺を創建していることからも、そして時代的にも、彼女が関わったのは、どちらかというと無量寺というより万寿寺のような気もします。

瑞泉寺


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カテゴリー 探索記事(エリア別 佐助ヶ谷
記事作成  2018年3月7日

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