2018年3月11日日曜日

鎌倉の商業地区


鎌倉歴史文化交流館に行ってきたので、その後どこかに寄ろうかと思いましたが、まだ寒いし、お寺やハイキングコースに行っても枯れ葉だらけの寂しい景観だし、ということで、最近の小町通りではどんなお店があるのか調べてみることにしました。どんなコンセプトのお店があるのか、また店先にはどのような商品を前面的に出すのか、時間が空いたときに都心部でよく観察しています。そういえば鎌倉時代では商業地区を指定する法令がありましたね。ということで今回は、商業に関する現在と鎌倉時代をテーマに記事を作成してみました。

鎌倉によくある女性向け定番商品


鎌倉時代の商業地区


建長三年(1251)と文永二年(1265)に幕府は鎌倉における商業地区を指定する法令を出しました。区域を設定することで商業利権の効率的な管理を目的としたのではないでしょうか。以下はその指定された商業地区です。

建長三年(1251)に指定された商業地区
大町小町米町亀谷辻和賀江大倉辻気和飛坂山上

文永二年(1265)に指定された商業地区
大町小町魚町穀町武蔵大路下須地賀江橋大倉辻

いくつかの手持ちの資料を見た限り、実はこれら全ての場所が厳密にどのポイントなのか比定されている訳ではないようです。例えば大町とは大町四ツ角の辺りかと思いきや、鎌倉市教育委員会の調査報告書に「米町辻とは大町四ツ角のことであろうか」とありました。ということで、まずはこれら場所の特定とそこから伝わる当時の鎌倉の状況を検証してみようと思います。

大町大路の大町の辺り


商業地区 大町


『吾妻鏡』建保元年(1213)5月2日条に「米町辻」という表記がみられます。したがって米町辻がこの頃からあった地名であることがわかります。そして上記したように、その米町辻が現在の大町四ツ角に比定されています。また文永二年(1265)条にある穀町とはイコール米町と考えていいそうです。鎌倉市教育委員会の調査報告書には、現在までに伝わる小地名として、大町四ツ角の西側に米町、南側に魚町辻町、東側に傘町と印されていました。大町は地区全体が商業地域だったようです。

Google map 大町
①若宮大路下馬四ツ角 ②延命寺 ③大町四ツ角 ④魚町橋 ⑤辻薬師堂 ⑥安養院 ⑦名越四ツ角 ⑧三枚橋

米町辻大町四ツ角なら法令にある大町とは具体的にどこを指すのでしょう。『新編鎌倉志』に「大町は夷堂橋と逆川橋との間の町なり」とあります。ですから法令にある大町の候補としては、夷堂橋、もしくは名越四ツ角ぐらいしかないように思えます。そうすると今度は法令にある小町とは、塔の辻、もしくは日蓮辻説法跡の辺りでしょうか。

Google map 小町・大町
①塔の辻(宝戒寺前) ②日蓮辻説法跡 ③夷堂橋 ④大町四ツ角 ⑤逆川橋

大町四ツ角は六浦道から南下する小町大路と鎌倉を東西に走る大町大路が交差する物流の重要な辻となります。現在の様相からはあまりピンときませんが、こうして当時の状況と地理を確認すると、大町の地区全体が商業地域として栄えたのは当然の成り行きだったのでしょう。


大倉辻と筋替橋


法令にある大倉辻も手持ちの資料では具体的にどこだったのか言及しているものがありませんでした。どこでしょう。往時では大慈寺があった辺りまでを大倉と云っていたそうなので、これまた難題になるのかと思いきや、地図を眺めると(下地図画像④)関取場の碑がある場所が怪しいのは一目瞭然です。ちょうどそこから往時でいう二階堂大路となっているので当時の賑わいが伝わってくるようです。また北条義時の大倉亭がその辺りにあったと考えられています。

Google map 大倉
①宝戒寺 ②筋替橋と西大路 ③岐れ路 ④関取場と二階堂大路 ⑤荏柄天神社と参道

筋替橋から当時では現在の国立横浜大学付属小中学校の敷地を通って西御門の谷戸に至る西大路がありました。西御門の奥から丘陵を登ると地獄谷を経て天園ハイキングコースにアクセスすることができます。また尾根を越えればちょうど今泉ともなります。大倉辻と思われる関取場にしても、大町四ツ角にしても、幹線道路が交差する辻であったことから、もしかしたら西大路もちょっとした幹線道路だった可能性も考えられます。ということは、筋替橋は鎌倉内外を往来する幹線道路(西大路)と六浦道が交差する辻だったのかもしれません。


和賀江島が商業地区から外された訳


建長三年(1251)の法令に商業地区として指定されていた和賀江が、文永二年(1265)条から消えています。絶えず荷の積み下ろしがあった鎌倉の港が商業地区でなくなる訳がありません。これはどうしたことなのでしょう。鎌倉市教育委員会の調査報告書によれば、このとき和賀江が極楽寺の管轄下となり、幕府が和賀江における商業権益を放棄したという見解がみられます。確かに、極楽寺は現在の光明寺のある場所に万福寺を建て和賀江島を管轄していました。

和賀江島

商業地区に指定されたポイントをマッピングしてみると、鎌倉の南西側、つまり長谷極楽寺の辺りには指定区域がないことに気付きます。もしかしたら、これも上記した事情と同じく極楽寺が鎌倉の南西側を管轄していたと考えるべきなのでしょうか。また建長三年(1251)条にあった亀谷辻気和飛坂山上も文永二年(1265)の条から消えています。しかしこちらは武蔵大路下として統廃合されたと考えるそうです。賑わいすぎて範囲が広がって繋がったのでしょう。

Google map 鎌倉の商業地区
①関取場 ②筋替橋 ③大町四ツ角 ④魚町橋 ⑤材木座 ⑥亀谷辻 ⑦化粧坂

その後、材木座で知られるように「座」が形成されるようになりました。つまり既得権益を持つ者だけが富める近現代のような世の中になったと言えるのではないでしょうか。こうして色々調べていると、鎌倉時代って御成敗式目なんかも含め、結構近代的ですよね、そんな昔のことではないように思えてきました。


現在の商業地区 小町通り


それでは現在の商業地区をみてましょう。現在は風営法に引っかかるお店でなければだいたいどこでも商売ができます。鎌倉だと特に小町通りが賑わっているのは誰もが御存じでしょう。鎌倉を支配した北条氏の如く、Amazonにこの世の販売網を支配され、個人商店どころか大手百貨店までもが閉店していく昨今、鎌倉のリアル店舗ではどのような商売をしているのでしょう。

鎌倉帆布巾
古都鎌倉のイメージに合うお手本のようなお店


女性向けの和風でカワイイお店


小町通りを歩いて一番目に付いたのが女性向けの衣料品店でした。鎌倉らしく和風の手ぬぐいハンカチやバッグ類を前面に押し出した店がいくつもありました。ちなみに比較的最近、ちょうどこうした類のモノを手掛ける業者さんと名刺交換をする機会がありました。元々は着物を作っていたような工場が直々に製造・販売を行うケースもあるので、メイドイン・ジャパンでも意外とコストを下げられるようです。もちろん夢のある儲けはありませんけどね。

定番のカワイイ手ぬぐいタオル

下画像はお店のコンセプトを外観で表したセンス重視のお店です。素敵ですよね、女性ならお店に入りたくなること間違いなしです。こちらは全国展開している大手です。基礎体力(財力)が違います。

女子なら立ち寄らずにはいられない素敵な佇まいの伊織


想像の斜め上を行くニッチで専門的な店


大企業のような図体のデカい組織が手の届かないニッチで専門的な方向に行くのが弱小の賢い戦略でしょうか。そしてやっぱりそんなお店がありました。しかも簪(かんざし)屋さん、傘屋さん、石鹸屋さんと、想像の斜め上を行く分野にちょっと感心してしまいました。ここで思いましたが、女性向けというだけでなく、外国人観光客も視野に入れているのでしょうか。

まさかのかんざし屋さん

かんざしは和風なので古都鎌倉のイメージに何となく合いますが、傘や石鹸って、よくそんな分野でこんな所に店を出そうと思ったのか、凄い勇気が要ることだと思います。でも結局のところ女性をターゲットにしているので無難でしょうか。

ぷにぷに石鹸屋さん


観光地はやっぱり雰囲気が大事


観光地における飲食店の人気・不人気は目玉となる絶対的なメニューがない限り、やはりその土地に合った雰囲気作りでしょう。もみじ茶屋に小町通りでこの日一番の行列ができていました。確かに、メニューといい、店のコンセプトといい、鎌倉に合ってます。チェーン店ですけどね。

もみじ茶屋

こちらは店先で売るタイプの団子屋さん。とても賑わっています。団子なんて特別おいしいものではないと思うので、ほんのちょっとしたセンスの違いがあるのかと思います。ちなみにこちらはイタ・トマが経営母体となっているようです。長年培った飲食店のノウハウがあるのでしょう、さすが。

イタ・トマが経営する夢見屋


瀬戸通り


1976年出版の永井路子他著『鎌倉歴史散歩』に「今ではこの路のことを小町通りというが、路の途中に瀬戸橋があるので、もとは瀬戸小路と呼んでいた。」と聞いたこともない驚愕の事実が記されていました。さらに「最近は飲食店やおみやげ(といっても鎌倉独自のものではないが)を売る趣味の店がやたらに増えた。そしてどういう訳か若者がやたらに多く、新しい鎌倉の一断面が作られてきた。」とあります。70年代の鎌倉ってまた随分と違う街だったのかもしれませんね。文中にある「若者」は、今ごろ団体で寺めぐりをしているシニア世代の方たちでしょうか。

昔ながらの子供をターゲットにしたコテコテのお店

昔ながらの修学旅行生などをターゲットにしたコテコテのお土産屋さんがほとんどなかったことに気付きました。それから、鎌倉だけではありませんが商店街には企業が結構参入しています。地方都市とはいえ個人でやっていける世の中ではないようです。小さい頃、友達のお父さんが金物屋をやっているとか、文房具店をやっているなどと聞いたことがあります。それで都内に一軒家を建てて何人もの家族を養っていたんですよ、信じられませんよね。そういった意味では、世の中って本当に良い方向に向かっているのか、たまにわからなくなります。




カテゴリー 鎌倉遺構探索事典
記事作成  2018年3月11日

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