2017年6月6日火曜日

大山の社寺・史跡


大山阿夫利神社の下に八大坊上屋敷跡という旧跡があります。現地案内板に「別名を西落院と云う。大山を治めていた別当の住居であり、供僧十一坊脇坊六坊末寺三・御師三百坊の惣領で、大山の運営及び事務を司っていた。」とあります。大山が修験道場としていかに賑わっていたかが伝わってくる資料です。現在はケーブルカーが通るなど観光地として整備されている大山ですが、往時では山全体が聖地・霊地だったのでしょう。ということで、今回は大山訪問記念として、大山にある社寺・史跡をまとめてみました。

八大坊・上屋敷跡

茶湯寺


大山バス停からケーブルカー駅に向かう途中、お土産屋さんなどが並ぶこま参道を外れると、茶湯寺があります。その名からも、大山詣りが盛んだった時代に大山にやって来た人たちを相手にお茶屋さんでもやっていたお寺かと思いきや、”故人が亡くなった百一日目に茶湯供養を奉修する”という由緒あるお寺だったことがわかりました。失礼致しました。まぁ何はともあれ、境内の佇まいが何とも言えぬイイ雰囲気です。

茶湯寺

寺伝に”開山以来900年”とあったものの、境内に近世を遡るような石造物が一切見当たりません。茶湯寺に900年もの歴史があるというより、その茶湯供養に900年の歴史があると云っているのかもしれません。後述する来迎院に同じく茶湯供養の歴史があるので、何かその辺りと兼ね合う事情がありそうです。

木像釈迦涅槃像

本堂にある木像釈迦涅槃像がてともユニークです。釈迦が涅槃に入った(亡くなった)ときの様子を表しているとありました。鎌倉で見た身代わり不動尊を思い出します(『鎌倉のお地蔵さま』)。日本では少ない貴重な作品だとありましたが、確かに、こんなの見たことありません。


八意思兼神社


こま参道を抜けたケーブルカー駅付近に八意思兼神社があります。登山道の男坂・女坂の分岐点ともなっています。八意思兼神社に関する信用できる資料が一切見つかりません。八意思兼と書いて”オモイカネ”もしくは”おもひかね”と読むようです。wikipediaに「日本神話に登場する神」「知恵を司る神」とありました。

八意思兼神社

前不動


八意思兼神社から大山寺を目指し女坂を登って行くとあるのが前不動(来迎院)です。古めかしい建物で現在使われているとは到底思えない様相となっています。

前不動(来迎院)

こちらも伊勢原市や伊勢原市観光協会などのオフィシャルからの情報がないので、こちら『猫のあしあと』さんから情報をいただきます。前不動の正式名称を寳珠山来迎院と云います。寛治二年(1088)に亡くなった義範が開山とあったので、その歴史はとても古いようです。大山寺や八大坊に住していた僧侶の菩提寺であり、また、”かつて近隣では葬儀百日目に、当寺で茶湯を授かる習慣があったことから大山の茶湯寺と称されていたといいます”とありました。ん?・・茶湯寺?。先ほどの茶湯寺と何かしら兼ね合いがあるようですが、ちょっとよくわかりません。これを読んでいるあなた自身で推測してみてください。ごめんなさい。

前不動(来迎院)

前不動の隣にある龍神堂はもとは二重滝にありました。「八大龍王と呼び大山の守護神にして雨乞いの本尊なり」と現地案内板にありました。

大山寺


前不動から階段を登って行くとあるのが大山寺です。鎌倉で大楽寺長楽寺理智光寺(全て廃寺)などを開いた願行上人が中興しました。8の付く日にはその願行上人が鋳た鉄不動を拝観することができます。

大山寺参道

大山寺は現在の阿夫利神社下社位置に元々ありましたが、廃仏毀釈の騒動によって現在地に移転を余儀なくされました。そしてさらに、ここ大山寺に元々あったのが、先ほどの前不動(来迎院)です。ですから寺院が段々と下りてきたことになります。また大山寺の丘陵壁面に”やぐら”のような造作がみられますが、これはそうした歴史からも来迎院の造作の名残りなのかもしれません。

大山寺の丘陵壁面造作
※大山寺の詳しい記事:『雨降山大山寺


八大坊


大山寺を過ぎた辺りから女坂の勾配が急になります。「やっぱりケーブルカーに乗ればよかった・・」と思う人も少なくないかもしれません。女坂を登り詰め、あと少しで阿夫利神社に到着というところで、男坂方面にちょっとだけ進むと八大坊上屋敷跡があります。上記したように、大山別当の住居跡です。確かに不自然な平場と石組みなどの若干の痕跡が残されています。

上屋敷跡のに残された石組み

ここから阿夫利神社に向かうこともできますが、二重滝(二重社)に向かうこともできます。標高的には二重滝の方が低いので先にそちらを紹介しましょう。

二重社への道

二重滝


大山川の源流となる二重滝は、雨乞いの地として知られる大山のなかでも特に重要な場所です。江戸時代では、新年早々に大工・鳶・左官職等の代表者が数日間下社に籠り二重滝に打たれていたと現地案内板にありました。また、高谷重夫著『雨乞習俗の研究』にあった「下社の東方にある二重の滝の水を借りに行く」という記述からも、雨を祈願して大山に訪れた人たちがここ二重滝から水を汲んで帰っていったことがわかります。

二重滝

そして二重社は阿夫利神社の摂社(本社に付属し、その祭神と縁の深い神を祭った社。格式は末社より上位。)です。また、阿夫利神社の奥の院と表現してもいいのかもしれませんね。

二重社

阿夫利神社下社


壮大な参道を登った先にあるのが阿夫利神社下社。何よりも標高700mからの景色が圧巻です。この日は黄砂の影響からか遠くを見渡すことができませんでしたが、本来は江ノ島や伊豆大島など湘南の海が望めるそうです。そして阿夫利神社の創建は、社伝によれば、「崇神天皇の御代」とあったので紀元前100年前後、また文献・資料などから確認できるものとしては、『延喜式神名帳』に阿夫利神社の存在が記されているので、少なくとも天平年間(724~748年)に存在していたことは確かなようです。

阿夫利神社下社参道
阿夫利神社下社
阿夫利神社下社からの景色

境内には元々は山中にあったという白山神社・浅間神社などが合祀されています。またここから登山道を登った先にも不自然な平場があったりもするので、それら神社や坊舎の名残りのなのかもしれません。

天外坊と刻まれた石像仏

阿夫利神社本社


阿夫利神社下社から壮大な登山道を登って行くと頂部に現れるのが阿夫利神社本社。標高1252mの景色に圧倒されます。下社からの景色も雄大でしたが、やはり頂部はまた格別です。そしてここ大山頂部での発掘調査の結果、縄文時代の土器が発見されています。5000年も前に我々の先祖はここで何があって何のために土器を残したのでしょう。ロマンのある話ですね。

大山頂部阿夫利神社本社
大山頂部からの景色



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記事作成  2017年6月6日

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