2017年6月8日木曜日

曽我・国府津ハイキングコース


国府津の曽我に行ってきました。富士の巻狩りや曽我物語などで知られる、ご存じ曽我兄弟が育った場所です。そんな土地柄なので、史跡の多くが曽我兄弟、もしくは曽我氏に関連するものでした。

曽我の特徴とハイキングコース概要


曽我を含む小田原市では梅の生産が盛んです。ですから曽我の丘陵は旧態地形として存在はしているものの、ほぼ梅林として開発されており、また丘陵部をコンクリート舗装された農道が縦横無尽に駆け巡っています。したがって今回の行程のほとんどがコンクリート舗装された道を歩くことになります。個人的には、たまの休日ぐらい土の道を踏みしめたいという希望もあるので、こうした事情を事前に知っていれば、ここに訪れることはなかったと思います。がしかし、景色はイイし、特徴のある横穴を見ることもできたりと、なんだかんだと行って良かったというのが正直な感想です。

Google map 曽我・国府津
①国府津駅 ②下曽我駅 ③瑞雲寺 ④城前寺 ⑤宗我神社 ⑥法輪寺 ⑦弓張の滝 ⑧澄禅窟 ⑨曽我祐信宝筐印塔 ⑩六本松跡 ⑪見晴台 ⑫法蓮寺 ⑬田島横穴古墳群 ⑭宝金剛寺 ⑮菅原神社

JR東海道線の国府津駅から御殿場線で一つ目にある下曽我駅で下車し、そのまま史跡をめぐってまた国府津駅に戻ってきました。御殿場線の本数があまりにも少ないこと、そしてSuicaが使えないということに驚きました。そしてさらにバスもほとんどありません。一時間に一本とかそういうレベルではなく、朝夕の通勤・通学の時間帯以外は動いていないようです。また、コース上にて飲食料を購入できる場所がとてつもなく限られます。これほど事前の準備を怠ってはいけない地域だったとは思いもしませんでした。


曽我城エリア


下曽我駅から最も近い史跡が城前寺宗我神社です。曽我氏の館跡であり城跡でもあります。この地域では一、二を争う重要な史跡と云えるのかもしれません。

宗我神社の鳥居

宗我神社の鳥居がありますが、先に城前寺に向かいます。城前寺は保育園が併設されているので、観光客の私が言うのも失礼ですが、わざわざ拝観するほどのものではありません。それよりも地形を確認した方が面白いと思います。現地案内板に「曽我城の大手前にあるのでこの名が付いた」とありました。下画像の景色からもわかるように、平野部よりいくぶん高い場所にあります。この辺りが曽我氏の館跡でもあったということが頷けます。また「曽我兄弟の菩提を弔ったのがこの寺の始まり」ともあったので、鎌倉時代の創建です。

城前寺
城前寺からの景色

城前寺から坂道を進みます。ふり返ると、もうこんなに平野部より高い位置に来ていました。確かに、この辺りが城郭だったことが伝わってきます。

城前寺から宗我神社に向かうところ

時間帯が良かったのか、よくわかりませんが、宗我神社の空気が凄いです。なんと表現したらいいのでしょう。とにかくとてつもなく心地良い空気が漂っています。いつも神社やお寺では、感謝の意を伝えているだけなんですが、このあまりの神々しい空気感に、ここは思い切ってお願い事をしてきちゃいました。

宗我神社

曽我氏といえば、『吾妻鏡』では、曽我兄弟及び養父である祐信の存在が記されている程度だったので、個人的にもその後の一族の動向を把握していませんでしたが、社伝に、相模国へ進出してきた後北条氏に攻められ、ここ「宗我神社も灰燼に化した」とあったので、曽我一族はずっと続いていたようです。

力不動尊 瑞雲寺


今回のコースは”ぐるっと”回ったりせず、そのまま国府津駅方面に向かうので、今のうちに瑞雲寺に寄っておきます。こちらも曽我兄弟ゆかりのお寺で、曽我兄弟が父の仇を討つために願文を納めて十人力を授けられたという力不動尊が安置されているとのことです。

瑞雲寺見晴台から

瑞雲寺ではちょっとした見晴台が用意されていました。何が凄いって、バックの景色が凄いです。箱根周辺にある山々がそびえています。あともう紫陽花が咲いていますよ。

瑞雲寺の紫陽花

そして曽我兄弟が十人力を授かったという力不動尊はというと、「ただの男根ですやんっ!」と、それって違う方の力なんじゃないかと首を傾げながら瑞雲寺をあとにしました。ちなみに男性は触ると、女性は跨ぐと御利益があるそうですよ。

曽我兄弟が十人力を授かったと云う力不動尊

法輪寺


もう一度宗我神社に戻ってコースを進むとあるのが法輪寺。小田原市の観光案内マップに「曽我氏ゆかりの寺」とありましたが、どこら辺が”ゆかり”なのか行ってもわかりませんでした。今の時点でもちょっとよくわかりません。ただ、中世のものらしき五輪塔が結構あったので歴史は古いみたいです。

こちらもバックの景色が雄大すぎる法輪寺の観音さま

鎧の滝・弓張の滝


大山では雨乞いの地ということもあって、滝が神聖化されていました。そんな影響から、観光マップに印されていた弓張の滝に寄ってみることに。ここでようやく土の道を踏むことができました。滝に向かって奥へ入って行くと、小川が流れています。どことなく十二所の御坊ヶ谷と雰囲気が似ています。

弓張の滝への道

しばらくして弓張の滝に到着。大山の二重滝のように二段になっている見事な滝でした。画像だと伝わらないと思いますが、結構大きいんですよコレ。二段のうち上の段を鎧の滝と云い、下の段を弓張の滝と云います。それぞれ2.5mと4.5mです。後北条氏の家臣がここで藤の花見をしていたそうです。

鎧の滝・弓張の滝

澄禅窟


次に澄禅窟(ちょうぜんくつ)という横穴に向かいます。この辺り、段々とコースの標高が高くなってきているので、さらに箱根方面の山々が見渡せます。

澄禅さんも見ていたかもしれない景色

向こうに「二子山と呼ばれているに違いない!」と思えるほどにそっくりな山が連なっているのが見えました。しばらくして女性の身体の一部にも見えてきました。霊験あらたかな瑞雲寺の力不動尊の効き目でしょうか。やっぱり違う方に効くみたいです。これほど清々しい景色を見ているのに煩悩が溢れ出してきます。

力不動尊の霊験で二子山に見えなくなった二子山

澄禅窟に到着。現地案内板によると、澄禅(1651~1721)という僧侶がこの岩窟に籠って修行をしていたそうです。現地案内板に「もとは横穴式古墳であったと思われる」とあります。確かに形状的には古墳時代末期横穴墓ですが、もし本当にそうであれば、これまで見てきた末期横穴のなかでは最も標高の高い場所にあることになります。

澄禅窟

古墳時代の横穴墓を改変して僧侶が修行の場とした例としては、鎌倉の西念寺にもあります。たぶん伝わってないだけで他にもそのような例があると思います。


常に見晴台ハイキングコースエリア


澄禅窟から六本松跡方面に向かいます。しばらくして景色が開けました。国府津方面に進んでいるので海が近づいてきたことがわかります。しかも、しばらくこんな景色を眺めながら歩くことができるんです。「常に見晴台ハイキングコース」浦賀道十三峠を思い出します。

常に見晴台ハイキングコースエリアからの景色

伝曽我祐信宝篋印塔


次にコース上にあったのが伝曽我祐信宝篋印塔です。相変わらず周辺の底面はコンクリート舗装されていますが、当時であればなかなかの山中といった場所にあります。曽我にあった見事な宝篋印塔なので、曽我兄弟のお墓ということにしようとしたところ、小田原・箱根周辺にはあまりにもその曽我兄弟の墓と呼ばれる石塔が多いので、お父さんの祐信ということにしようと、江戸時代ぐらいの人たちが相談している様子を想像してみました。ちなみにこの石塔、銘が刻まれていないので何のための宝篋印塔なのか不明です。また結構大きいです。安養院(もちろん鎌倉の)の宝篋印塔と同じぐらいでしょうか。

伝曾我祐信宝篋印塔

六本松跡


六本松跡に到着。「松が六本あったからってなんじゃいっ!」と思われるかもしれませんが、ここは足柄道・鎌倉道・大山道・箱根道が交わる街道の交差点で、曽我氏はもちろん中村氏・松田氏・川村氏の居館と鎌倉を結ぶ街道沿いでもあったそうです。そう聞くと感心してしまいますが、肝心のこの辺りの地形が梅林として開発されているため、前後の旧道ルートがどこら辺を通っていたのか、素人には全く想像もつかないのであまりピンときません。

六本松跡

六本松跡から細い道を進んだところに曽我十郎と虎御前にまつわる忍石というものがありました。この辺りで2人が涙ながらに別れを惜しんだそうです。

見晴台


六本松跡が今回のコースのピークだったようで、しばらく下った先に見晴台がありました。海がまた近くなっています。あとそういえば未だ富士山を見ていないことに気づいたので、現地案内板が示す富士山の方を向いてみると、「ぜってぇ見せねぇ」と云わんばかりの厚い雲が立ちはだかっているから富士山が見えなかったのだということがわかりました・・。

見晴台からの景色
富士山の方向にある「ぜってぇ見せねぇ」感が強すぎる雲

法蓮寺


見晴台から下山して法蓮寺を目指します。標高が低くなりました。眼下に曽我平野が広がります。往時ではどれだけ田畑があったのでしょう。これから向かう法蓮寺とそれから今日乗った御電場線が見えました。”中井精也のてつたび”にでも投稿しましょうか。

御殿場線

法蓮寺に到着。ここには曽我兄弟の母の満江御前の墓があるということなんですが、これがまた最高にそして絶妙に微妙なお墓です。曽我物語は近世にて幸若舞・歌舞伎・浮世絵などで広く知られることになったので、曽我兄弟にまつわる石塔などは、ほとんどこの時代に適当なモノを宛がったのだと思います。したがってこの満江御前の墓もきっとそんなことだろうと思っていましたが、これ凄い微妙じゃないですか、鎌倉期の五輪塔でも見付けて墓にしているのかと思いきや、石って。適当なモノを宛がうにしてもなんて大雑把な、と思う一方で、逆にもしかしたらホンモノなんじゃないかとも思えてきます。鎌倉遺構探索史上最高にそして絶妙に微妙な史跡と出会いました。

最高にそして絶妙に微妙な史跡 満江御前の墓

田島横穴古墳群


平野部に下り、ようやく自販機を見付けることができたので喉の渇きを潤すことができました。しばらく歩いて田島横穴古墳群に到着。現地案内板によると、上曽我から下曽我・田島・国府津・橘地区へと横穴の群列が続いていて、現在確認されているのは32基で、うち12基がここにあるそうです。

田島横穴古墳群の丘陵尾根道

いつも携帯しているLEDライトが寿命を迎えていました。ということで、せっかくこんな所にまで来たのに細かい観察ができません。フラッシュで撮った画像をその場でチェックするという作業を行いましたが、ここ田島の横穴墓は、これまで見てきたなかでは、かなり奥行きがあるように思えました。

かなり奥行きがあるように思えた横穴

いくつかの穴に石塔が祀られています。真っ暗闇の横穴にフラッシュを焚いた途端それが現れるのでビックリします。色んな意味でやっぱりライトがないと・・。

古墳時代にも漆喰があったのか?

宝金剛寺


田島横穴古墳群からかなり歩きます。しかもただの平野部を。そして着いた先が宝金剛寺です。縁起に鎌倉時代の人物が全く出てきませんが、天長六年(829)創建の古刹です。今回曽我で見た寺院のなかで一番キレイだったかもしれません。

宝金剛寺

菅原神社


かなり国府津駅に近づいたようです。しばらくしてあったのが菅原神社です。こちらも創建が古く、正暦五年(994)とのことで、祭神はもちろん菅原道真です。国府津の天神さまとして親しまれています。

菅原神社

こちら撫で牛と云って自分の体の直してもらいたいところを撫でてからこの牛を撫でると霊験があるそうです。いつもはそういうことしませんが、直してもらいたいところがあったので撫でてきました。身体のどの部分を撫でたのかは秘密です。

撫で牛

これ!随分と史跡めぐりをしたと思いますが、個人的にあまり出会ったことがありませんでした。茅輪と云って”くぐる”と罪や穢れが取り除かれます。嬉しかったので2回くぐってきました。

茅輪

国府津駅


その後、真楽寺などに寄ってゴール国府津駅に到着!歩行距離大よそ12km、所要時間は大よそ6時間でした。大山登山で体力がついたみたいです。まだどこかに行けるぐらいの余裕があります。

国府津駅の辺りから

何度も言うように、曽我の丘陵部はほぼ梅林です。常に梅の実の甘~い匂いが漂っていました。ハイキングコース中にも梅の実がたくさん落ちていたので、何個か持ち帰ってみたところ、部屋に梅の実の匂いが漂ってとてもイイ感じです。この記事もその梅の実の匂いが漂うなかで書いています。梅が好きになりました。




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記事作成  2017年6月8日

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