2017年6月1日木曜日

日向薬師


日本三大薬師の一つとして数えられる名刹日向薬師。鎌倉遺構探索としては、頼朝が訪れたことのある史跡として以前から興味を持っていました。今回はそんな念願の日向薬師を鎌倉遺構探索目線で十分に堪能してきたときの記録をまとめました。

山号寺号 日向山霊山寺宝城坊
建立   霊亀二年(716年)
開山   行基


神奈川県有数の観光地大山から稜線で連なる日向山日向薬師は所在しています。周辺は野生の熊・猿・鹿・猪などが生息する自然豊かな環境です。というと辺鄙な場所にあると思われるかもしれませんが、小田急線伊勢原駅から日向薬師行きのバスがあるので、アクセスはそんなに不便ではありません。

日向


吾妻鏡にある日向薬師


吾妻鏡に日向薬師が度々登場します。まずは何と言っても、建久五年(1194)8月8日条に頼朝が自ら日向薬師に向かう様子が記されています。このときの隋兵がこれまた豪華で、先陣は畠山重忠と土屋義淸を最前列に佐原義連・小山朝政などの精鋭14名、頼朝を囲む中陣には御剣役の結城朝光に御調度懸の愛甲季隆をはじめ、足利・三浦・千葉などの重鎮22名、そして後陣には武田信光・相馬師常などの14名が続きます。この時代のオールスターが勢揃いしています。そしてこのときの駄餉(だこう:外出先での食事を用意する役)は大江広元の担当だとありました。伊勢原市に隣接する厚木市(下毛利庄)を領していたのが大江広元だったからだと思われます。また頼朝の参詣は大姫のためだとも吾妻鏡にあります。

いしば(衣装場)
頼朝が参詣前に白装束に着替えた場所と伝わる

その他、同年10月18日には、足利義兼が頼朝の代理として参詣しています。このとき頼朝は歯痛で悩んでいたからです。また建暦元年(1211)7月8日には北条政子と坊門姫が日向薬師に訪れています。


頼朝が見た日向薬師とはほぼ別モノ


日向薬師の創建は、霊亀二年(716年)に日向山霊山寺として行基によって開かれたと云われています。13もの坊舎を抱える大寺院でしたが、廃仏毀釈の騒動で多くの堂宇が失われ、別当坊の宝城坊だけが残り、その宝城坊が霊山寺を継ぎ現在に至っています。バス停日向薬師の手前にある停留所を坊中と云います。坊舎があったから坊中なのでしょう。したがって現地に行くとかなり広い範囲が往時では日向薬師だったということが実感できます。

日向薬師バス停前

参道ルートも当時とは異なっていたようで、日向薬師バス停から西に400mほど奥に行った辺りにある神明橋から連なる日かげ道を往時では通っていたと現地案内板にありました。つまり頼朝ら御一行もこの日かげ道を通って日向薬師に向かったそうです。

神明橋(日かげ道)

さらに、高谷重夫著『雨乞習俗の研究』に「日向薬師に室町時代を下らない獅子面が二つあり、これを本堂の東北方にある女滝・男滝に浸して雨を乞うたと云う」とありました。なんと日向薬師に滝があったそうです。境内に滝など見当たらなかったので、見逃したのかと思い、ネットで調べてみましたが「日向薬師で滝を見てきた」なんて記事は一切見つかりませんでした。滝は現在では失われているのか、もしくは一般の人が立ち入れない場所にあるのかもしれません。


日向薬師境内


日向薬師は小田急線伊勢原駅からバスで大よそ30分。そして伊勢原駅で降りる観光客の98%ぐらいが大山に向かうので、日向薬師行きのバスは快適に過ごせます。日向薬師からも比較的近い場所には、浄発願寺石雲寺大友皇子の墓浄発願寺奥の院などの史跡があるので、合わせて見学するのもいいかもしれませんよ。

日向薬師周辺 現地案内板より
①日向薬師バス停 ②日向薬師 ③日向山山頂 ④神明橋(日かげ道)

日向薬師バス停から徒歩で大よそ15分、仁王門を通り旧態地形で残された壮大な参道を歩きます。雰囲気はバッチリです!

仁王門
参道

階段を上ると日向薬師、日本最大級の茅葺屋根を持つ宝城坊本堂です。事前にネットで見た姿と雰囲気が違うと思ったら、昨年の2016年11月に大々的な改修工事が終わり落慶式が行われたとありました。だから新品です。

日向薬師

「そういえば薬師さまは神社なのだろうか?それともお寺なのだろうか?」と一瞬悩んでしまいました。薬師さまはお寺です。手を鳴らしてはいけません。


日向薬師に伝わる銅鐘は、天暦六年(952)に村上天皇の発願により鋳造されたもので、暦応三年(1340)に現在の鐘に改鋳されたと伊勢原市観光協会のHPにありました。また鐘楼前にある杉の木は、神奈川県天然記念物に指定されている樹齢800年の古老です。二本杉、または幡かけ杉とも呼ばれています。そこに新緑のもみじが加わる景色はとても美しいものでした。

鐘楼と二本杉ともみじ

日向薬師の貴重な文化財


この日は宝物殿が開かれていたので見学してきました。ちなみに拝観料300円。平安末期から鎌倉期、もしくは室町期のものであろう仏像を見ることができます。個人的には四天王立像と十二神将立像が特に心惹かれました。こういう貴重な文化財を見ていつも思いますが、木像でしかも手作り、さらにこのクオリティーでモノ作りができる職人さんに敬服してしまいます。

日向薬師宝物殿で見られる文化財 現地案内板より

虚空蔵菩薩


空洞になった木の幹に挟まれている虚空蔵菩薩は、もとは奥の院にあったと現地案内板に記されています。日向薬師にも奥の院があったんですね。それでは、奥の院を探しに鎌倉遺構探索の醍醐味である寺社裏山探検に向かいましょう。

奥の院に祀られていたと云う虚空蔵菩薩

日向山


このとき、日向薬師から亀石大釜弁財天見城などを訪れ、日向山山頂からまた日向薬師に戻ってくるというハイキングコース(日向山ハイキングコース)を歩きました。日向山山頂から日向薬師に下ると、まず感じるのが、鎌倉のハイキングコース尾根道と様相が似ているという点です。尾根が細くなり、斜面が急勾配となります。近現代にてハイキングコースとして整備されたのか、もしくは大山と同じように日向山も修験道場として活用されてきたので、そうした痕跡があるのかもしれません。または石切りがあった可能性も否めません。

日向山ハイキングコース尾根道
急勾配の斜面と若干の掘割状

日向山山頂から日向薬師まで何も見つけることができず下りてきてしまったので、つまり奥の院はハイキングコース沿いにはないことがわかりました。「奥の院はどこだろう?」とこれまで通ってきた道のりを思い返すと、道標が指し示さない道筋が途中にあったことを思い出し、行ってみることにしました。日向山のハイキングコースは緩やかに弧を描くようなハイカーに優しい道でしたが、こちらの不詳不明の道はとてつもなく急勾配です。さらにこの道、一歩でも踏みせばかなりの落差を滑落してしまうような、かなりサバイバルな様相です。

日向山のサバイバル体験

日向山奥の院


そんな先にあったのが、なんと、岩屋です。奥の院跡とは平場か何かだと思っていたところに岩屋が現れました。感激です。内部中央奥には確かに、何かが祀られていたような痕跡が確認できます。虚空蔵菩薩の案内板に記されていた奥の院とはこの岩屋のことで間違いなさそうです。

日向薬師奥の院 岩屋
岩屋内部中央

日向薬師奥の院は修験の場


探していたのものが岩屋だったというこの日最高の御褒美の余韻に浸りながらまた日向薬師に下りてくると、もう少しあの岩屋のことが知りたいと思い、日向薬師の方に思いきって尋ねてみました。話をうかがったところ、あの岩屋は間違いなく虚空蔵菩薩が祀られていた奥の院で、日向薬師がまだ修験道場だった頃、修験者があの岩屋にこもって修行していたそうです。ですから浄発願寺奥の院にあった岩屋と全く同じ性質の横穴となります。しかもあの奥の院に至るサバイバルな道筋は、以前まで山頂への登山道として活用されてきましたが、やはり危険だということで道標を示さなくなったそうです。でもあの道、急斜面を一気に駆け登るように出来ているので、既存のハイキングコースの半分ぐらいの時間で山頂にたどり着けます。

虚空蔵菩薩
日向薬師梅園の辺りから



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記事作成  2017年6月1日

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