タイトルのテキスト
タイトルのテキスト
タイトルのテキスト
タイトルのテキスト

新井城跡

2015/08/19

三浦市 三浦氏 城郭

t f B! P L

新井城跡〈三浦道寸義同〉

相模三浦一族の最期と伊勢宗瑞


永正九年(1512)、伊勢宗瑞(北条早雲)が岡崎城を陥落させ、三浦道寸義同は住吉城まで後退を余儀なくされました。伊勢宗瑞の支配は三浦半島を除く相模のほぼ全域に及び、これより本格的に両者が対峙していくことになります。三浦道寸義同は住吉城から伊勢宗瑞の軍勢と応戦しながら後退しついには新井城に立て籠もることになります。

荒井浜

永正十三年(1516)7月11日、3年間の篭城の後、新井城は落城、三浦義同・義意親子は自刃。ここに相模三浦一族は滅び、伊勢宗瑞が相模国を完全に掌握することになりました。

新井城


「(新井城は)巌険阻にして獣も駆け登り難し」『北条五代記』より


新井城は急峻な崖にそびえ立ち、なおかつ三方を海に囲まれています。残る一方は堀切で地形を寸断するため、攻める側からするとほぼ兵糧攻め以外に手だてはありません。

『三浦半島城郭史』によれば、城の大手となる引橋から内の引橋と呼ばれる場所までを本防衛陣地とし、内の引橋から御殿があったとされる内側を複郭陣地としていました。引橋はその名のとおり、当時はそこに堀切があって橋がかけられていました。つまり橋を引いてしまえば敵は侵入できない状態となります。もちろん現代ではそのような堀切は残されていません。現地案内板には関東大震災時の土地の隆起によって失われたとありました。

Google map
①外の引橋 ②内の引橋 ③御殿跡 ④千駄やぐら

なんと、油壷にある半島地形部分が新井城かと思いきや、県道26号線にある引橋までが新井城の範囲となります。でもそうなると守備範囲が広くなってしまうのではないかと心配してしまいますが、地図を見てのとおり引橋の辺りは小高い丘陵となっており、実際に現地に行くとわかるのですが坂道になっています。つまり山が一つの防衛線となるようです。

新井城跡主郭部


内の引橋から海側に向かって形成された半島状の地形が新井城の主郭部となります。何度も言いますが往時では引橋部分に堀切が施されていたため、橋がなければ進入することはできません。また、立ち入ることのできない東京大学施設内に「御殿跡」という呼称が残されています。義同が居た場所なのかもしれません。

御殿跡にある堀部分

同じく東京大学施設内に千駄やぐらという岩穴があるそうです。千駄の兵糧米を貯蔵する岩穴であったことから千駄やぐらと称されていました。一駄=ニ俵(約三六貫)です。これでもあまりピンとこないかもしれませんが、ここで三浦一族が3年間篭城した訳ですから、かなりの貯蔵量だったことは想像に容易です。ちなみにやぐらは『三浦半島城郭史』を著した大正生まれの赤星先生の時代でさえ既に半分ほどの大きさに削られていたそうです。

新井城西側のビーチを荒井浜と云います。海蝕洞の多い三浦半島にあってその荒井浜に人工的に削られたような横穴がありました。千駄やぐらもこんな感じだったのでしょうか。

荒井浜の横穴

東京大学の建物の脇道を進むと荒井浜に出ることができます。その道の途中から新井城御殿跡の堀や土塁などを少しだけ見ることができます。またここから見える油壺湾も素敵です。

油壺湾

油壺の名の由来は、新井城落城のそのとき、自刃・討死した者達の血があたかも油を流したかのように海に染まったからだと伝わっています。

荒井浜

三浦道寸義同


三浦介時高は、扇谷上杉持朝の三男高救を養子に迎え大森氏頼の娘を娶らせました。そこに生まれたのが三浦道寸義同です。この時点で義同は三浦氏の血を継いでいないように思われますが、『相模三浦一族とその周辺史』に「氏頼の室は時高の妹であろう」とあったので、三浦氏の血が幾分かは混ざっているようです。

小綱代湾

義同の墓は円覚寺塔頭の寿徳庵にあります。ネット上に義同の墓の画像が出回ってないようなので、一般では義同の墓を見ることはできないのかもしれません。但しそもそも寿徳庵自体が非公開となっています。

円覚寺寿徳庵

伊勢宗瑞が義同を自害させたのが7月11日、その74年後に豊臣秀吉の小田原城攻めで北条政氏が切腹を命じられたのも7月11日でした。

周辺の史跡


それでは、新井城の肝心な箇所は東京大学施設内にあるのでほとんど見学もできないので、新井城及び三浦道寸義同に関連する周辺の史跡をご紹介します。

Google map
①諸磯神社 ②千駄やぐら ③御殿跡 ④義同供養塔 ⑤内の引橋 ⑥永昌院 ⑦白髭神社 ⑧なも田坂 ⑨高山の義士塚 ⑩外の引橋

出口茂忠


諸磯の半島状をした地形の先端に諸磯神社があります詳細な縁起はよくわかりませんが、『三浦古尋録』に「浜磯村の鎮守」「神明社」などと記されているので、少なくとも近世の頃には既に存在した神社のようです。小桜姫神社として周知されています。

諸磯神社

この諸磯神社の寄進者銘に「出口」さんという名が刻まれています。油壷周辺では一般民家の表札だけに限らず店舗・事業所などでもこの「出口」という名をよく目にすることができます。

『相模三浦一族とその周辺史』によれば、三浦道寸義同の弟の茂忠が出口氏を称していたとあります。茂忠は義同滅亡後も城ケ島などで抵抗を続けていましたが、伊勢宗瑞がこの茂忠と三浦水軍の亀崎・鈴木・下里・三留らを懐柔し三崎十人衆として自軍に帰属させました。ですからこの油壷の出口さんとは、三崎十人衆の出口茂忠の末裔ではないかと思われます。

諸磯神社の寄進者銘

油壷の撮影ポイント


諸磯神社から新井城に向かう途中の道沿いに油壷湾を一望できるスポットがあります。現在ヨットハーバーとなっており、まさに往時でもこのように三浦水軍の船が停泊していたのではないかと思わせてくれる胸アツな景色がそこに広がっています。

油壷湾の胸アツ景色

小網代湾の白髭神社


小網代湾にある白髭神社は、三浦七福神の長安寿老人、そして航海の神の中筒男命を祀っています。現地案内板に「小網代湾が昔から廻船寄港地、また三崎の避難港として全国的に知られていた関係上、航海安全大漁満足の神としても古くから崇拝されてきました」とありました。新井城とも三浦氏とも直接関係はありませんが、新井城周辺の湾が港として優れていることがこのことからも伝わってきます。

白髭神社

三浦七福神の長安寿老人とは、大陸で信仰されていた神さまです。また「南極星の化身」という案内板の記述からも、これには同じく白髭神社の祭神である中筒男命が関係するようです。表筒男命、中筒男命、底筒男命の三神が住吉大社に祀られていることは周知されている事実ですが、さらに、この三つの筒男命がオリオン座として表され、航海をつかさどる神ではないかという説があるそうです。

白髭神社

永昌寺


同じく小網代湾近くに所在する永昌寺の開基は三浦道寸義同で、”永昌”とは道寸義同の法号です。そしてまた義同の子の義意の妻室”霊照院”の卵塔が残されています。最後の相模三浦一族にとても関連深いお寺のようです。

永昌寺

なも田坂


真光院は治承四年(1180)の入阿の開山と伝わる古刹です。三浦義同・義意親子に深く帰依されたと現地案内板にありました。

真光院

真光院の裏側にある路地をなも田坂と云います。県道の開通以前は三崎と小綱代を結ぶ主要街道だったとありました。道は狭く、住宅が建ち並んでいますが、いかにも旧道といった様相を留めています。昔の道のままコンクリートで固めたような形状です。ホントに雰囲気が古道の様相だったのでちょっと感動しました。

また義同の側室が落城の戦火から逃れたものの身重で足を進めることが叶わず、なも田坂で自害したと伝えられています。産後の夫人が渡ると災いがあるともいわれています。

なも田坂

高山の義士塚


新井城から外の引橋方面に向かうと高山の義士塚と呼ばれる塚があります。個人的にこれほど明瞭・明確に塚とわかる形状を見たのがこのとき初めてだったのでちょっと衝撃的でした。逆にこれを塚というのかと勉強になった気がします。

義士塚

義士塚は、新井城攻防で戦死した人たちの供養塚だと伝えられています。また、諸説として義同から恩義を受けた敵兵が新井城陥落後にその感謝を忘れず、この義士塚のある場所で自刃したとも伝えられています。

義士塚近くにあったお花畑

義士塚の近くに見事な庚申塔が並べられた一画があります。同じく近くにキレイなお花畑があり、義士塚に添えられている花と同じものが添えられていました。義士塚は現在も地元の方たちから丁重に扱われているようでした。

義士塚近くにある庚申塔類

参考資料


三浦市編『三浦こども風土記』
赤星直忠著『三浦半島城郭史』
鈴木かほる著『三浦半島の史跡みち』

三浦半島関連地図


三浦市の史跡


三浦義村の墓|福寿寺塔頭南向院跡

三浦義村の墓|福寿寺塔頭南向院跡

三浦市の金田港の近くにある福寿寺の塔頭・南向院跡に三浦義村の墓とされる石塔があります。原型が全くわかりませんが五輪塔とのことです。『新編相模国風土寄記稿』に「碑高七尺許」とあるので2mもの大きさの石塔でしたが関東大震災によって海中に一度落ちてしま...

毘沙門洞窟と盗人狩

毘沙門洞窟と盗人狩

三浦半島南端の毘沙門にある海蝕洞穴に行ってきました。正式名称を 毘沙門洞窟弥生時代住居跡群 と言います。その名のとおり、ただの海蝕洞穴じゃありません。弥生時代から住居や墓として活用されてきた洞窟です。また近くにある 盗人狩 という場所にも行ってみました。盗人狩はただの地形かと...

ブログ内検索

ブログ アーカイブ

お問い合わせ

名前

メール *

メッセージ *

QooQ