2014年4月14日月曜日

勝長寿院跡 大御堂ヶ谷


勝長寿院は、源頼朝が父である義朝の菩提を弔うために建立されました。南御堂・大御堂とも呼ばれていたことから、この辺りを大御堂ヶ谷と云います。

滑川に架けられた大御堂橋を渡って大御堂ヶ谷へ

勝長寿院縁起


元暦元年(1184)永福寺同様に頼朝自ら土地を選定し、邸(大倉幕府)の東南にあたるこの地に父である義朝の菩提を弔うため勝長寿院を建立する事となりました。なんとこの時、頼朝は義朝の没年と同じく38歳でした。『吾妻鏡』によれば、文治元年(1185)2月、伊豆から木材を調達することから始まり、8月末には京都から義朝の首が到着するなど、開創に至る経過が細かく記されています。9月には、鎌田正清の首も副えられ、義朝の首がこの地に葬られています。その後、大姫の供養が行われたり、実朝や北条政子など頼朝の家族の葬送・供養の地となっています。

勝長寿院跡石碑

勝長寿院境内


『鎌倉廃寺事典』『鎌倉市史 社寺編』などでは、廊の御堂・南山小御堂・小御堂・南御堂・新造の東御所・弥勒堂・五仏堂・三重塔などの建物名が記されています。それぞれの時代や文献・資料などでの呼び名が異なるため、列挙した建物名のどれかはカブッているようです。ちょっとややこしいです。ちなみに、俗称である南御堂は、勝長寿院を指す名称です。また、政子や実朝の法華堂が、上記した建物名のどれかに当てはまる可能性もあるようです。そして大御堂ヶ谷全体が勝長寿院境内だったと考えられています。

谷戸内は住宅で埋め尽くされて道も細い


中世旅行者の証言から推測


貞応二年(1223)の『海道記』の著者が大御堂ヶ谷に訪れ「南の山の麓に行いて、大御堂新御堂を拝すれば、仏像鳥瑟のひかり瓔珞眼にかがやき、月殿画梁のよそほひは金銀色をあらそふ」と記しています。一方で、仁治三年(1242)の『東関紀行』の著者は、「大御堂と聞ゆるは、石厳のきびしきをきりて、同情の新なるを開きしより、禅僧庵を竝ぶ」と記しています。これら中世の旅行者の証言と、上記した建物名にもある南山小御堂という名称からも、勝長寿院よりさらに南に建物があったことがわかります。大御堂ヶ谷は、北側を入口とし、南に広がった形状をしています。これまでみた谷戸の典型的なパターンとしては、寺及び武家邸が谷戸の最奥に位置することが多いのですが、大御堂ヶ谷では、それに当てはまらないようです。勝長寿院より南に、つまり奥にも建物があったようです。

Google Map 大御堂ヶ谷

大御堂ヶ谷は、南北に広がる形状をしています。裏山丘陵部は祇園山ハイキングコースとなっており、その反対側には東勝寺があります。そして、中世の旅行者の証言から勝長寿院があった場所を何となく推測すると、上画像の丸印辺りになるかと思われます。いつからこのような地形になっていたのかはわかりませんが、実際にも、いかにもお堂があったかのような地形をしています。また、『鎌倉市史 社寺編』の記述からも礎石が発見されたという場所があの辺りだと思われます。

あたかもちょうどお堂があったような地形位置に民家がある

谷戸奥に旧態地形がありますが、残されているというより近現代で開発されたようにも思えます。また、谷戸内を寸断するかのように川が流れています。厳密には水は流れていません。もしかしたら堀跡の名残りなのかもしれないと思いましたが、確証はありません。

谷戸奥
堀跡? 谷戸内にある水路

ということで、完全に住宅街となった谷戸内ではその痕跡を探るのはほぼ不可能でしょうか。確証のもてない空想をめぐらすばかりです。また、ひっそりとした住宅街なので、観光客が訪れる場所ではありません。あまりウロウロしていると悪い気がしてきます。

北条氏の参詣


『吾妻鏡』によれば、暦仁元年(1238)には北条泰時や時房など、建長二年(1250)には北条時頼や重時などが、頼朝法華堂・義時法華堂と共に大御堂ヶ谷にも参詣しています。これは北条氏の定番巡礼コースとなっていたそうです。義時や政子など一族ご先祖様に対するお参りであることは確かですが、一方で源氏一族の菩提寺となる勝長寿院を取り仕切ることは、北条氏が政権を握る正統な後継者だというアピールも含まれていると考えられています。

日野俊基の墓は源氏一族の石塔?


化粧坂の上に日野俊基の墓があります。市史に「故大野秀文師(覚園寺住職)等が大御堂谷から適当に大きさを揃えて持って来た」ものとありました。ちょっと面白くて笑ってしまいました。史跡指定されているものが実はそんな由来だったんかいって。そういわれると確かに、一見して宝篋印塔にみえますが、部位がそれぞれ異なるようです。一体誰の墓塔、あるいは供養塔だったのでしょう。大御堂ヶ谷にあったものです。もしかしたら・・。

日野俊基の墓 化粧坂上



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探索期間 2011年9月~2013年9月
記事作成 2014年4月14日

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