2014年3月11日火曜日

神武寺やぐら


神武寺こんぴら山やぐら群


神武寺に神武寺こんぴら山やぐら群と『鎌倉市史 考古編』に呼称されている一群があります。全部で20基ほどです。市史の記述からもこの辺りをこんぴら山(金比羅山)と云うようです。神武寺境内から参道を挟んだ西側の丘陵をこんぴら山、もしくは神武寺周辺の全体をこんぴら山と云うのかもしれません。

神武寺こんぴら山やぐら群

さほど特記するほどのやぐらではありませんが、羨道のない室町期型と記されていました。ちょっと掘り込みが浅すぎるのが印象的です。このことからも、やぐらは時代が下るにつれどんどん簡素化されていったことがうかがえます。


近づくと良くないことが起きる?やぐら


弥勒やぐらがある神武寺墓地で、ちょうど神武寺の関係者らしき方がいらっしゃったので「切通しややぐらなどの遺跡を見るのが好きなんですが~」などと挨拶代わりの話しをしながら、他にもやぐら群がないかを尋ねたところ、なんと「近づくと良くないことが起きるから」と一切の情報をもらえませんでした。関係者の方は参道の方(墓地から見て神武寺こんぴら山やぐら群のある方向)を向いてそうおっしゃっていたので、神武寺こんぴら山やぐら群のことを言っていると思われます。「そんな迷信のような話しを本気で信じているのか?」と思いましたが、そのエリアに立ち入られたくないから言っているのかもしれません。どちらかでしょう。

神武寺やぐら群のある神武寺墓地

そんなやりとりがあったので、申し訳ないとは思いつつも、神武寺こんぴら山やぐら群は、鎌倉の遺構を見慣れた人ならだいたいの勘でその場所が分かると思います。こちらに向かう際、倒木が道を遮るように横たわっています。鎌倉の尾根道などでも見かけたことがありますが「これ以上来てくれるな」というサインにも受け取れます。

神武寺こんぴら山やぐら群へ向かう道

この倒木をまたぐ際、足を引っかけて転んでしまいました。やぐらを目指すはやる気持ちもあってか、ちょっと一人で苦笑いです。そしてやぐら群を見た帰り、なんと、またまたこの倒木に足をひっかけて転んでしまいました。先ほどの関係者の方が言っていた「良くないことが起きる」という迷信のような話しを思い出さずにはいられません。神武寺から鷹取山にいたる尾根道を歩きまわった後だったので、疲労のため、倒木をまたぐのに自分が思っているほど足が上がっていなかったのだと思いますが、この短い時間に二度までも転ばされるというアクシデントに、ちょっと不思議に思いました。まぁ「良くないこと」が転ぶ程度の事で良かったと考えましょうか。


金比羅山


神武寺こんぴら山やぐら群の丘陵には、そのまま登って行ける尾根道がありました。遠目ながらも掘割状のような地形も確認できましたが、この辺りも石切り場となっていた痕跡がみられるので、詳しくはわかりません。


丘陵頂部

神武寺やぐら群


神武寺墓地にあるやぐら群を神武寺やぐら群と市史では呼称しています。丘陵壁面にいくつかやぐらがみられます。


中でも弥勒やぐらと呼称される一際目立つ大きなやぐらがあります。やぐらは風化が進んでいるようで、補修のため柱が取り付けられています。安山岩製の一石一尊仏が安置されていて『鎌倉市史 考古編』に「鎌倉末期の達者な技法を示すもの」ありました。とても貴重な石像なんだそうです。浄光明寺の地蔵像と同じく、墳墓堂としてのやぐらの本尊として祀られています。

弥勒やぐら

弥勒やぐらは、舞楽師の中原光氏のお墓で、石像の背後に、中原光氏が舞楽師で神楽博士であったこと、従五位上行左近将監に敍せられていたこと、正応三年(1290)9月5日に73歳で没したことが刻まれています。『吾妻鏡』には、建長五年(1253)、鶴岡八幡宮西門脇に夷社が勧請された際に御楽際があって、中原光氏が宮人曲を歌ったという記事がみられます。その他『鶴岡八幡宮寺社務職次第』『鶴岡八幡宮遷宮記』にも記録があるそうです。結構有名人だったようです中原さん。

弥勒やぐらご本尊

一画に五輪塔などが並べられています。そういえば、神武寺こんぴら山やぐら群には、五輪塔などの石造物が一切ありませんでした。そちらから持って来ているのかもしれません。だからやぐらが怒って「良くないことが起きる」とかだったりして・・。




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探索期間 2011年9月~2013年5月
記事作成 2014年3月11日


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