2014年2月25日火曜日

薬王寺


山号寺号 大乗山薬王寺
建立   永仁元年(1293)
開山   日像
開基   -


本堂

薬王寺縁起


もとは梅嶺山夜光寺という真言宗のお寺でしたが、永仁元年(1293)に日像が開山となって日蓮宗に改められたと伝えられています。その他にも「梅立寺」「梅嶺寺」などの寺号が伝わっています。横須賀線線路の向こう側に梅ヶ谷という谷戸があります。往時ではこの辺り一帯に梅の木が多く植わっていたのかもしれません。元々「梅~寺」であった信憑性が伝わってきます。

観世音菩薩を祀る釈迦堂

徳川三代将軍家光の弟で駿河大納言忠長が、寛永十年(1633)に高崎で自刃した際に、妻の松考院殿が、夫の霊を供養するために墓を建立し、多額の金銭と土地を薬王寺に寄進しています。そんな事から当時は五重塔などの建物があって栄えていたようですが、享保五年(1720)に全てが焼失してしまったそうです。江戸時代では徳川家との関係から、寺紋に三葉葵が用いられるなど格式の高い扱いだったので、一般人の埋葬が許されなかったそうです。その格式の高さから土地の人達も薬王寺を親身に感じていなかったのかもしれません。明治時代の廃仏毀釈により、荒廃し一時無住となる有様だったようです。

鐘楼

徳川忠長供養塔


山門を入ったすぐ右手に前述した徳川忠長の供養塔が安置されています。忠長は三代将軍家光の弟なので、北条氏で云うところの朝時とか重時クラスの大物です。色々と説があるようですが、どうやら家督争いの末、28歳の若さで自刃に追い込まれたと考えて間違いないようです。また、妻の松考院殿は、織田信長の次男にあたる信雄の娘となります。ということは・・ 何やらバックボーンとなる一族同士の争いが関わっているようにも思えます。家光の乳母であった春日局は、信長に滅ぼされた美濃の斎藤氏の出身です。徳川家の家督争いという舞台で、見事に一族のリベンジを果たした事になります。

徳川忠長供養塔

薬王寺境内


本堂より丘陵部寄りに帯状をした一段高い平場が設けられています。鎌倉寺社でいうところの、開山堂などが往時ではあったのではないかと思わせる場所です。階段を登って行くと、釈迦堂や熱田稲荷社などの他、近世から現代までのお墓があります。なかでも、松山城主の蒲生忠知の正室と息女の墓があります。近世式の宝篋印塔で、3m近くあるでしょうか。蒲生忠知は、蒲生氏郷の孫にあたる人物です。
鎌倉期の伝承を失った薬王寺ですが、丘陵を背にひな壇状地形が施された境内に、「鎌倉寺社感」が伝わってきます。

丘陵部寄りの一段高い平場から


ここから見える谷戸は、山王堂ヶ谷や御前ヶ谷辺りでしょうか。後深草院二条の鎌倉の第一印象「家々が階段のように幾重にも重なって、袋の中に物を入れたよう」みたいな景観です。

薬王寺裏山から眺めた景色

呪われた?やぐら


釈迦堂の裏に大きなやぐらがあります。『かまくら子ども風土記』によれば、不思議なことに、このやぐらの地面に石造物を直接置くと、どんな石質のものでも徐々に溶けてしまうんだそうです。また、奥壁には穴を塞いだ造作がみられます。副室部分にあたるかと思われます。塞がねければならないほど大きかったのでしょうか。謎の多いやぐらです。

巨大なやぐら
これがその溶けた石像物?
やぐらの奥壁

その他にも丘陵部寄りにやぐらが施されています。やぐらに付随する造作なのか、石切りされたのか、わかりませんが、細かい造作がみられます。また、中世のものと思われる石塔が結構ありました。真言宗だった頃のものでしょうか。


熱田大明神と寺縁起


享保年間(1716~1736)、夜になるとこの寺の辺りで光る場所がありました。土地の人々は、いつからかこの寺を夜光寺と呼ぶようになります。ある時、その光る場所を掘ったところ、陶器で作られた観音像の頭部だけが出てきたそうです。当時の住職が身体の部分を木で補い、熱田大明神としして祀るようになったと云われています。その陶器の頭部は中国製だったそうです。

熱田稲荷社 

ここから化粧坂寄りに所在する海蔵寺も元々は真言宗寺院でした。そちらは藤原仲能が関係していると云われています。薬王寺の近くにある亀ヶ谷辻では中原親能が、浄光明寺寄りには冷泉為相や摂津刑部が邸を構えていました。梅立寺とも梅嶺寺とも伝わる鎌倉期のお寺の開基候補として考えられるのは、この辺りの人達かもしれません。それにしても、海蔵寺といい、ここ薬王寺といい、どうしてお寺の伝承を失ってしまったのでしょう。不思議ですね。




より大きな地図で 亀ヶ谷坂 を表示

探索期間 2013年2月~4月
記事作成 2014年2月25日


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