2014年2月17日月曜日

長尾砦


「扇状に突出した台地状尾根を長尾台と呼ぶ。長尾台中央を南北に通ずる路がこの堀の東側を通っていて、この路に沿い堀に面して狭い平場が作られており、堀を伝って来た敵が堀から上ってくることを防ぐようになっている。長尾砦はこの北側の大空堀を前面とし、山腹に四段の平場を配したものである。」
『鎌倉市史 考古編』より。

柏尾川とJR線路に架かる陸橋から見た長尾台
長尾台の台地状尾根

長尾台は坂東平氏一族となる長尾氏の邸地及び根拠地として周知されています。中世末期には後北条氏によって玉縄城の出城となる長尾砦が築かれました。

Google map 玉縄
①玉縄城主郭跡 ②七曲坂 ③久成寺 ④ニ伝寺砦 ⑤高谷砦 ⑥天嶽院 ⑦龍宝寺 ⑧長尾砦 
⑨大船観音 ⑩大船駅

長尾御霊神社


丘陵部一帯でまず何よりもわかりやすい史跡が長尾御霊神社です。玉縄・村岡エリアを廻っていると、随分とこの御霊神社に遭遇します。この辺り一帯が長尾氏を含む坂東平氏と呼ばれた一族の根拠地であったことがうかがえます。地上部から長い階段を登って行きます。神社前は広場となっていますが、砦として造成された平場が基になっているのかもしれません。

長尾御霊神社

長尾氏


明確に記録で確認できる長尾一族として『源平盛衰記』や『吾妻鏡』に登場する長尾定景(さだかげ)が挙げられます。石橋山合戦では平氏方として戦い、佐奈田与一義忠を討ち取ったなどと記されています。定景は佐奈田与一の父の岡崎義実に囚人として預けられた後、三浦氏に仕え、その後は将軍実朝を暗殺した公暁を討ち取っています。定景の子の景茂(かげしげ)は、宝治合戦で三浦一族と共に自刃したと吾妻鏡に記されています。後北条氏の時代では長尾顕方(かねまさ)などの一族が文献・資料で確認されています。このことからも定景の一族子孫達が長尾郷一帯に定着していたと考えられています。また、長尾氏といえば長尾景虎(上杉謙信)の祖先として有名ですね。


久成寺に、長尾台から移されたという長尾一族の墓塔が安置されています。長尾定景の供養塔とも云われていますが、石塔は室町期のものです。

久成寺にある長尾台にあった石塔

古地図に描かれた長尾台


下地図画像は龍宝寺資料館で入手した迅速測図です。その下にあるGoogle mapと比較してみると、宅地化されていないものの農地として大々的に開発されていることがわかります。昭和15年に調査した記録を基に記された『鎌倉市史 考古編』(以下市史)の長尾砦の記述のほとんどが何を言っているのか理解できませんでした。戦後さらに土地開発が進んだものと思われます。

明治14年の長尾台周辺地図
○内が長尾台 ①田谷 ②現在の県道23号原宿六浦線 ③柏尾川
Google map 長尾台
○内が長尾台 ①田谷 ②県道23号線原宿六浦線 ③柏尾川

明治の地図に描かれている等高線はひな壇状に連なる平場を表しているのかもしれません。市史にあった「山腹に四段の平場」「幾段もの広い平場の連続」という記述の雰囲気が伝わってくるようです。地図で見る限り四段どころじゃありません。こんな凄いひな壇状地形を実際に見てみたかったとタメ息がでます。また、栄区役所によれば、長尾台では五輪塔・板碑・陶磁器が出土しています。

長尾台頂部台地状尾根

砦跡


実際に訪れてもあまりピンとこなかった長尾台ですが、唯一怪しかったのが竹やぶとなっていたひな壇状地形です。市史に「北側高場の頂は径4m、高さ1m程の塚形の竹薮になっている。土地ではここを塚と呼んでおり、塚のある辺りを長尾砦の跡と考えているようである。」とありました。下画像は何となくその記述の雰囲気にも思えますが、残念なことにここは長尾台の北側ではありません。

竹やぶのひな壇状地形
この道に沿って平場が段々になっている

市史にあった「塚」と呼ばれている場所ですが、この塚を和泉三郎父子の墓と伝えているとありました。この和泉三郎なる人物を調べると、藤原秀衡の三男としか出てきませんが、市史には長尾景虎に関係あるものとありました。ちょっと謎です。

長尾台の生態系


長尾台に訪れた際、なんとタヌキに遭遇しました。しかも近づいても逃げません。人懐っこいタヌキなど聞いた事がないので、不思議に思っていたところ、どうやらどこかケガをして動けないようです。「こんな時は区役所に連絡するんだっけ?どうしよう?」と悩みつつ、思いきって近所にお住まいの方にこの件を伝えたところ、既にご存知だったようで、「保護しようとすると威嚇するので、エサや水を運んでいる」とのことでした。さらに、親タヌキが時々様子を見にうかがってきているそうです。とりあえず一安心したので、スッキリその場を離れることができました。また、その地元の方によれば「この辺りは、まだまだ自然が残されていて、ハクビシンや○○(なんか珍しそうな動物の名前)などを見かけることができるんだよ」ともおっしゃっていました。自然が残されてるっていいですね。

まさかのタヌキ
長尾台にいる間ず~っと一定の距離を置いて付いてきたネコ



より大きな地図で 大船・玉縄 を表示

探索期間 2013年8月
記事作成 2014年2月17日


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