2014年1月8日水曜日

多聞院


山号寺号 天衛山福寿寺多聞院
建立   文明年間(1469~1487)頃
開山   南介僧都
開基   甘粕氏


本堂

多聞院縁起


瓜ヶ谷にあった観蓮寺永享の乱の兵火によって衰退したところを地侍の甘粕氏がここに移転させ、裏山にある熊野神社の別当寺として建立されたと云われています。『鎌倉市史 社寺編』『鎌倉廃寺事典』の観蓮寺の項には「山ノ内瓜ヶ谷に観蓮寺屋敷という田があり多聞院の持である」「観蓮は当寺(多聞院)の旧号」などと記されています。そういえば瓜ヶ谷といえば、地蔵坐像を中央に安置し、内壁一面に五輪塔などの浮彫が施された豪華なやぐらがあります。瓜ヶ谷といっても範囲が広いので何とも言えない部分もありますが、もしかしたら観蓮寺に関連したやぐらである可能性も考えられるのかもしれません。

瓜ヶ谷にある地蔵やぐら

甘粕氏


多聞院の興味深いところは、何と言っても寺の開基となった甘粕氏の邸が現在も残されている点でしょうか。甘粕氏は後北条氏の家臣として知られていますが、元々は上杉氏の家臣で後に北条氏に属すと『鎌倉市史 社寺編』にありました。 ここでは一つの谷戸にお寺と有力御家人の邸があったと云われる往時の鎌倉市街地中心部の再現を示してくれているようです。

Google Map 多聞院

地図画像をごらんのとおり、コの字型に近い谷戸の中に邸とお寺があります。周辺の緑地地帯は現代の土地開発で削られているようです。往時の谷戸はもう少し緑に囲まれていたと思われます。そして裏山丘陵部に長窪の切通と云われる尾根道が通っていますが、これは六国見山へと向かう峠坂の一つだったようです。ただ、こうしてマクロ視点で見ると、甘粕氏が施した城郭のようにも思えてきます。

多聞院境内


山門前には庚申塔などの石塔が並べられています。周辺はのどかな住宅街となっていますが、裏山尾根は六国見山へと続く峠坂で、寺前通りは今泉へ向かう街道となっています。昔は人通りが多かったのかもしれません。

庚申塔類

境内にあった石碑と石塔

境内はそれほど広くはありませんが、近現代の墓地として活用している裏山部分に多くのやぐらが施されています。多聞院の創建が文明年間(1469~1487)なので、この地に多聞院以前に寺院が建っていなければ、ここにあるやぐらの造営期間は15世紀いっぱいまで下るようです。

やぐら

内壁に細かい造作がみられるやぐら

やぐら内壁の小部屋が家型・屋根型のようになっています。確か百八やぐら群にもこのような内壁のものがありました。そして丘陵壁面にやぐらが並んでいます。


熊野神社


熊野神社が隣接しています。上記したとおり、多聞院は熊野神社の別当寺です。熊野神社にもやぐらが施されています。鎌倉の神社でよくみられる祠を安置するタイプで、実際にも祠が安置されていました。

熊野神社
境内にあるやぐらと祠

長窪の切通


そして多聞院裏山尾根道となる長窪の切通です。切通しの形状は近世、というより近現代に削られたものでしょうか。周辺も住宅地として開発されていますが、多聞院や熊野神社べ容易にアクセスできるといった関連性からも元々昔からの道筋であった可能性は高いと思われます。

長窪の切通

尾根道から多聞院境内と岩瀬の街並みを眺められます。往時では直下に甘粕氏の田畑が広がっていたのでしょう。農作業を行いながらも、イザという時のお殿様からの召集には玉縄城に駆けつけていたものと思われます。農作業に合戦に大変だったことでしょう。そんな情景が浮かんでくるようです。




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カテゴリー 探索記事(エリア別 岩瀬・今泉
記事作成 2014年1月8日

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