2014年1月5日日曜日

十二所七曲


朝比奈切通からも近い場所に果樹園があります。この辺りを七曲と云うそうです。瑞泉寺の十八曲や玉縄城跡七曲坂などと同様に地形を表したことに字名が由来すると思われます。それにしても「果樹園って、ただのハイキングに行ってきたご報告?」と思われるかもしれませんが、この辺りには、上総介平広常の邸や製鉄所があったと伝わっています。目に見えるものはほとんど残されていませんが、意外に歴史が詰まっているようです。

朝比奈砦


果樹園に向かいます。朝比奈切通のある谷戸入口付近に庚申塔などの石塔が置かれています。またこの辺りで朝比奈砦と呼称される城郭遺構が確認されています。この石塔は通行の邪魔になるから高い位置にあるのではなく、往時の地面の高さなんだそうです。


番やぐら


朝比奈切通の記事でも触れましたが、切通し沿いにあるやぐらのほとんどが目線より高い位置にあります。これらは道が改修され掘り下げられた結果そうなっています。特に凄いのが、谷戸入口から切通しに向かう途中にあるやぐらの位置です。とっても高い位置にあります。「どんだけ地面掘り下げたんだよ」ってツッコミたくなります。十二所地誌新稿(以下地誌)によると、このやぐらを番やぐらと呼びます。というのも見張りの番兵を置いたと伝わっているからなんだそうです。鎌倉期からの伝承ではなさそうですが、やぐら玄室内には中柱があったりして朝比奈峠やぐら群の中では少し変わったものでした。

○部分にやぐらがある

太刀洗水とタタラ


そして少し進んだ朝比奈切通に差し掛かる手前にある小さな滝は太刀洗水といって鎌倉五名水に数えられています。頼朝の命で梶原景時上総介平広常を誅殺した際、刀に付いた血のりをここで洗ったことにその名が由来するそうです。

太刀洗水

朝比奈切通のある大谷戸をたたらヶ谷と云うそうです。三浦一族多々良と名乗る分家が確認できますが、地誌によれば「たたら」とは「タタラ場・鍛冶屋、即ち鉄製品を造る処」とあります。ですから製鉄が関連したことによって付いた字名かと思われます。砂鉄が川に紛れると赤く染まってしまいます。昔の人はそれを血と連想し、広常の誅殺が逸話になったのかもしれません。

上総介平広常の邸跡


朝比奈切通の入口分岐点を切通しではない方に進みます。この辺りに上総介平広常の邸があったと云われています。広常邸と伝わる辺りは建設業者が所有しているようで、ほぼ往時の谷戸の形状を留めていないように思われます。地誌には付近に個人宅があったことや広常の墓と云われる五輪塔などの石塔類があったことを伝えています。


ちなみに当時から房総半島と鎌倉を往来する手段は、船で東京湾を渡るのが当たり前だったそうです。そうした事からも上総を本拠地とする広常が港のある六浦や三浦などにアクセスしやすい十二所に居住するのも納得ですね。

上総広常は、謀反の疑いがあるとして頼朝の命によって梶原景時に不意打ちで殺害されます。『吾妻鏡』の記述には、頼朝が石橋山合戦の敗戦で房総半島に渡った際、広常はなんと2万騎もの大軍を擁したと記されています。あまり勝手なことは言えませんが、これは頼朝が信頼する当時の北条三浦などが束になっても敵わない軍事力だったと思われます。広常の誅殺は、謀反という言いがかりで上総一大勢力の分散・排除が目的だったのは明白でしょうか。

果樹園と続く道

果樹園


小谷戸を抜けると果樹園となります。植物のことはよくわかりませんが、梅の木が多く植えられているそうなので、3月ぐらいが見所なんだそうです。しかし、見てください、この新緑の美しさ。画像は5月に行った際に撮影したものです。光り輝く緑のトンネルに、大げさな言い方かもしれませんが、辺り一面にエメラルドが散りばめられているような輝きでした。

緑のトンネル

果樹園のある丘陵部を登り尾根に出ると、これまた見事な景色を眺められる見晴台に出ます。草木伐採などの関係もありますが、一応パノラマ状となっていて360度見渡せるようにはなっています。運が良ければ富士山を眺める事も可能です。ちょっと私の安物コンパクトカメラの画像数では伝わらないかもしれませんが、個人的にはこの鎌倉の丘陵部が入り組むデコボコ状が確認できたのが面白くて感動的でした。

見晴台からの景色

遠くにランドマークタワーが見えた

そのまま果樹園付近を一周できる散策路が施されています。この辺りでも石切り跡が確認できました。周辺一帯が近現代で果樹園造成のために出来上がった地形ではない事がわかります。


日輪寺


具体的な位置はわかっていませんが、十二所には日輪寺というお寺があったとされています。日輪寺は北条高時寺号なので得宗家お抱えの格式高いお寺だったと思われます。地誌に「果樹園の山腹に窟があって五輪塔が散乱している処か」と日輪寺跡を推測しています。地元の伝承にはそう伝わっているそうです。残念ことに、この資料を目にしたのが果樹園に行った後だったので、この「果樹園の山腹の窟」というのを確認していません。それに五輪塔が散乱している箇所なんて今の時代ないと思います。また行く機会があったら探してみようと思っています。

周辺は奥深い山中の様相



探索期間 2011年8月~2013年12月
記事作成 2014年1月5日

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