2014年1月3日金曜日

東林寺跡


泉ヶ谷浄光明寺対面の住宅地奥に墓地とそれを取り囲む丘陵部にやぐらが数基確認できます。往時ではここに東林寺というお寺があったそうです。『浄光明寺敷地絵図』や『新編鎌倉志』などでその名がみられますが、あまり詳しい事は伝わっていないようです。

Google Map 泉ヶ谷

東林寺なのに清水寺谷?


東林寺跡にあるやぐら群を『鎌倉市史 考古編』では清水寺谷やぐら群と記しています。ですからこの浄光明寺対面の小谷戸を清水寺谷と云うようです。「東林寺なのに?」と思いますよね。調べてみたところ、上地図画像にも記しましたが、泉ヶ谷の丘陵部を隔てた向こう、鎌倉駅から小町通りを進んで鎌倉街道と交わる位置にある鎌倉十井の一つ鉄ノ井の辺りに新清水寺があったことがわかっています。鉄観音堂とも呼ばれていたそうです。ですからこの東林寺跡地は新清水寺の飛び地のような寺領だったのかもしれませんが『鎌倉廃寺事典』では「ちょっと考えさせられる問題である」とこの新清水寺と清水寺谷の位置関係に首を傾げていました。この辺りの疑問はどうやら解明されていないようです。

清水寺谷やぐら群


東林寺跡となる墓地を囲む丘陵部にやぐらが数基確認できます。上記したようにこれら清水寺谷やぐら群と呼称されています。この丘陵部壁面からも鎌倉の寺院跡という雰囲気が伝わってきます。


清水寺谷やぐら群の特筆すべきは、旧境内最奥に施されたやぐら玄室内部が細かく区切られている点です。市史の記述では「上下二段にまるでアパートのように多数の龕がつくられている」とあります。ですからアパートやぐらとでもいうのでしょうか。この特殊な内装を個人的にはここと浄光明寺の冷泉為相先生の宝篋印塔付近にあるやぐらでしか見かけていません。また、やぐら内にある石塔は丘陵部向こう側にあった松源寺から移されたものが多いそうです。

アパートやぐら?

どのような事情があったのかわかりませんが、やはりこれも瞬間的に多くの人が亡くなったことによる墓不足によるものなのでしょうか。残念ですがその辺りに言及した資料は見つかりませんでした。

こちらはその浄光明寺冷泉為相墓付近にあるやぐら

東林寺縁起


『新編鎌倉志』によれば東林寺の開山は浄光明寺と同じく真阿となっています。ですから東林寺は浄光明寺の支院だった可能性があると大三輪龍彦著『浄光明寺敷地絵図』にありました。また『沙石集』によれば、「東林寺の荒れ果てた地に極楽寺良観房上人(忍性)が塔の側に地蔵堂を建てた」といった旨が記されています。少なくともこのことから地蔵堂がこの地にあった事が伝わってきます。また、浄光明寺の支院と考えられる東林寺に忍性が介入していることから、少なからず浄光明寺に対しても忍性が影響力を持っていたと考える向きがあるようです。ちなみに、先ほどの『沙石集』には厳密には「東林寺の上~」と記されているので、その忍性が建てたという地蔵堂は丘陵部の上方にあったのかもしれません。

浄光明寺地蔵院跡平場から眺めた東林寺跡清水寺谷



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記事作成  2014年1月3日

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