2014年1月28日火曜日

浄智寺


山号寺号 金宝山浄智寺
建立   弘安四年(1281年)頃
開山   兀庵普寧 大休正念
準開山  南州宏海
開基   北条宗政 北条師時



浄智寺縁起


浄智寺は、弘安四年(1281年)に亡くなった北条宗政の菩提を弔うため建立されました。開山に招いた南州宏海(なんしゅうこうかい)が壮年であったため、大休正念(だいきゅうしょうねん)を招き、入仏供養などの礼式が行われました。また、その大休正念が師と仰ぐ兀庵普寧(ごったんふねい)を開山祖としたため、2人の開山に準開山の名が残されるという複雑な形式になったようです。『鎌倉市史 社寺編』では、開山の関係の複雑さや、開基に複数の名が連なる特殊性からも、後世の造作がみられないとして、この資料を尊重しています。総門の額に掲げられた「寶所在近」(ほうしょざいきん)は、円覚寺開山の無学祖元の書と伝えられています。


浄智寺関係者


開山とはいえ、実質当寺に関係ない兀庵普寧は、文応元年(1260)に宋から来日した渡来僧で、はじめ京都の東福寺にいましたが、北条時頼の招きにより、建長寺へと入っています。文永二年(1265)に本国に帰っているので、わずか5年ほどの滞在でした。市史に「大覚派との軋轢があった」とみえるので、日本であまりいい思い出はなかったのかもしれません。大休正念も同じく中国からの渡来僧で、文応六年(1269)に来日し、こちらは正応二年(1289)に日本で骨を埋めているようです。
開基の北条宗政は、五代執権時頼の子で、八代執権時宗の同母兄弟です。ですから母は重時の娘で葛西殿となります。弘安四年(1281年)に29歳の若さで亡くなっており、子の師時は、十代執権に就いています。どちらも北条氏の中ではそれほど存在感はありませんが、家格的には最高クラスです。浄智寺が鎌倉五山第四位に列せられたのも納得です。


浄智寺境内


仏殿には室町時代作と云われる三世仏坐像が安置されています。阿弥陀・釈迦・弥勒の如来像とし、過去・未来・現在を意味するそうです。このことから何を汲み取ればいいのでしょうか。相変わらず禅は難しいです。

仏殿

『かまくら子ども風土記』には、「高野槙や沙羅双樹と云われる白雲木などの樹木が生い茂っている」とありました。禅の奥深いところもわかりませんが、植物のことはなおさらよくわかりません。ただ、鎌倉に来るようになって、季節毎に姿を変える緑や花を美しいと思えるようになりました。


奥には、結構な数のやぐらが施されています。どれも浅い掘り込みだったので、室町期のものとも考えられますが、石切りの影響もあるでしょうか。また古刹らしく、中世の石塔がたくさん置かれており、歴代住職の墓と思われる無縫塔が並べられていました。また横井戸というものがありましたが、浄智寺で初めて知りました。鎌倉は何でも横穴なのでややこしいですね。


隋道をくぐると、布袋尊が置かれたエリアにつながります。それにしてもこの隧道、寿福寺や海蔵寺などと同じ雰囲気です。この辺りは塔頭跡なのかもしれません。


布袋尊のお腹を触るとご利益があるそうです。みんなに触られすぎて布袋様のお腹部分だけ真っ黒です。また、こちらのエリアでも切岸とやぐらが確認できます。

鎌倉七福神 浄智寺布袋尊

夢窓疎石も訪れた浄智寺


上記した開山の他、浄智寺に住した僧侶として、高峰顕日(こうほうけんにち)・竺仙梵僊(じくせんぼんせん)・古先印元(こせんいんげん)などの名が資料にありました。古先印元は長寿寺の開山で、高峰顕日は、瑞泉寺の開山としても知られる夢窓疎石が師事していたそうです。市史に「夢窓疎石が高峰顕日に参じ所悟を呈して印可を受けている」とありました。このとき夢窓疎石が浄智寺に訪れているようです。


浄智寺塔頭


鎌倉五山第四位の浄智寺だけあって、塔頭は往時で11を数えます。南州宏海の塔所だった蔵雲庵に、楞伽院(竺仙梵僊)、そして高峰顕日の正統庵などがありました。正統庵は後に建長寺に移されています。そして浄智寺裏山となる葛原岡ハイキングコース上に、天柱峰と刻まれた石塔が置かれています。これは、浄智寺住職の竺仙梵僊にまつわる史跡のようです。竺仙梵僊も中国からの渡来僧です。この辺りは、清涼寺ヶ谷の記事でも記しましたが、由比ヶ浜の海上を進む船の目印として灯台の役割を果たした燈炉堂というものがあったようなので、竺仙梵僊はここから景色を眺めていたのかもしれません。また、想像を膨らませると、竺仙梵僊の楞伽院がここにあったのかもしれません。尾根上なのに、ちょっとした平場が近くにみられます。このハイキングコース尾根道は、往時からあったようです。

浄智寺裏山 葛原岡ハイキングコース尾根道
天柱峰



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探索期間 2012年9月~11月
記事作成 2014年1月28日


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