2014年1月24日金曜日

常楽寺


山号寺号 粟船山常楽禅寺
建立   嘉禎三年(1237)
開山   退耕行勇
開基   北条泰時


本殿

常楽寺縁起


嘉禎三年(1237)北条泰時が妻の母の供養のため、退耕行勇を招き、墳墓の傍らに寺を建てます。これを粟船御堂と云います。粟船とは大船の古名です。仁治三年(1242)に泰時が亡くなり、ここに葬られたことから、常楽寺と改められました。仁治元年(1240)頃と伝わる山内道の開削工事と、常楽寺の建立が時期的に近接しています。山内道の整備によって、得宗家の山ノ内所領の開発がこの頃から盛んになったと考えられます。


常楽寺境内


山門から進むと、右手に庫裡・本堂、中央に仏殿、左に文殊堂があります。仏殿は元禄四年(1691)に建てられたものとありました。仏殿内部には、阿弥陀如来像と観音・勢至菩薩の三尊と、その脇に蘭渓道隆の像が安置されています。天井に描かれた絵図は、狩野派の絵師によるものなんだそうです。

仏殿

仏殿内部

北条泰時墓


仏殿の奥には、歴代和尚の墓石と並び、北条泰時の墓があります。何という石塔なのかわからないほどに風化しています。元々は裏山にあったものを近現代で境内に移したそうです。さらに奥へ行くと、近現代の墓石が並ぶ中、丘陵壁面にやぐらのような掘り込みがみられます。また、中世のものらしき石塔などが置かれていました。

北条泰時墓



色天無熱池と蘭渓道隆


寛元四年(1246)に宋から来日した蘭渓道隆を、北条時頼が寿福寺から常楽寺に招いています。道隆は、建長寺に入山する建長五年(1253)まで、ここ常楽寺に住していたようです。常楽寺は臨済宗の建長寺派です。こうした道隆との関係によって、建長寺から末寺として寺領を配当され、常楽寺は長い間安定した経営を保つことができたようです。本堂奥の庭にある池を色天無熱池(しきてんむねつち)と云います。色天とは清浄な世界、無熱池とは龍王が住む炎熱の苦しみがない池を云います。池には蘭渓道隆にまつわる逸話が残されています。

色天無熱池

常楽寺に住した蘭渓道隆の下に多くの僧が集まってくるようになりました。ここで何故か江ノ島の弁天様が道隆の給仕役として一緒に宋から連れて来た乙護童子を、美しい女性の姿に変えるというイタズラをします。こうしていつの間にか、村中に道隆が美女を大切に囲っていると噂になります。乙護童子は、師と自分の潔白を示そうと、白い大蛇となってイチョウの樹に七回り半も巻き付き、その尾で池の底を叩いたということです。このことから色天無熱池をおたたきの池とも云うそうです。

江ノ島の弁天様が人の姿を変えたり、人が蛇になったりと、相変わらずこういう昔話の意味するところがよくわかりませんが、でもきっと何かを伝えているのでしょう。そのまま文章にできない何かを隠しているのだと考えてしまいます。


粟船山


事前に、この常楽寺裏山となる粟船山をグーグルマップの航空写真で調べましたが、住宅がぎっしり建ち並んでいたので、寺社裏山の様相は失われていると思っていたところ、来てみたら意外にも裏山は旧態で残されていました。・・と思ったら、その旧態部分は屏風のように常楽寺のバックを覆うだけのほんの少しの範囲だけでした・・ そして頂部手前に、姫宮の墓という石祠があります。姫宮は北条泰時の娘で三浦泰村の妻です。彼女は出産の際、身体を弱めたようで、しばらくした後、母子共々亡くなってしまいます。わずか25歳だったそうです。

粟船山

姫宮の墓

姫宮の墓からは、少しだけ遠景が望めます。こうした景色が見れる場所は、これまで見てきた鎌倉寺社のパターンからも、いかにも大旦那の墓位置といった感じです。また石祠を置くには少し大きめの堀り跡がみられます。泰時の墓が往時には裏山にあったということなので、もしかしたらこの辺りにあったのではないでしょうか。


木曽塚


入間河原で討たれた志水(清水)冠者義高は、鎌倉での首実検の後、常楽寺近くにあった塚に葬られたそうです。塚を木曽塚と云い、またその辺りを木曽免と云います。最下部のグーグルマップに印してあります。常楽寺から少し離れています。江戸時代に村人がこの塚を掘ったところ、人骨の入った青磁の甕が出てきたので、これを現在地に移したそうです。ですから現在あるこの木曽塚は、中世のものではありません。がしかし、その伝承からも、義高らしき人物の骨が入った青磁の甕がここ粟船山頂部に埋められているようです。

木曽塚

冠者とは元服して間もない男子をあらわします。ですから義高は、現代の感覚からは未だ幼い少年だったのでしょう。義高は、父である木曽義仲が頼朝に恭順の意を示すため、鎌倉に人質として差し出されました。頼朝の娘の大姫と許婚の関係となりますが、源範頼・義経の追討軍の前に、父義仲が討たれたことから、あえなく義高も誅殺される運命となります。大姫は自身が亡くなるその時まで、この義高を想っていたそうです。また、彼女も若くして亡くなってしまいます。



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探索期間 2013年7月~8月
記事作成 2014年1月24日


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