2014年1月23日木曜日

成福寺


山号寺号 亀甲山法得院成福寺
建立   貞永元年(1232)
開山   成仏
開基   -


本堂

成福寺縁起


北条泰時の末男の泰次は、幼少より仏門に入っていました。もとは天台宗の僧侶であったと云われています。後に親鸞と出会い浄土真宗に改宗し、成仏と名乗り成福寺(じょうふくじ)の住職となります。『鎌倉市史 社寺編』には「信ずる限りではない」とあるものの、八世長老の成全が記した書に、初代から七世にいたるまでの全ての長老が北条氏の出身だとあるそうです。また、私が見た著書・資料には、泰時の子に泰次なる名前が見当たりません。後に僧侶になったという公義という名が見えますが、この泰次と同一人物でしょうか。ちょっとわかりません。


亀の窟


境内にある丘陵部壁面には横穴がいくつかみられます。中でも本堂裏にある亀の窟と呼ばれる横穴があって、そこで成仏が修行をしていたと伝わっています。特別何か細工が施されている訳ではありませんでした。

亀の窟

他にも少し変わった形状の横穴があります。2つの入口があって奥に行くと部屋が施されています。さらにその奥へと行く道があって口の字型になっていました。成福寺に訪れた際、こちらの横穴を亀の窟だと思いましたが、『かまくら子ども風土記』に掲載されていた画像から違うものであることがわかりました。ですがなかなか興味深い窟となっています。

窟入口にみられる造作
奥の部屋
奥へ入ると口の字型の隋道が続くが積み上げられた石で道が塞がれている

奥に部屋あり道ありと、修行するにはもってこいの窟のようにも思えますが、ただ、んんっ~・・でもこれはやっぱり防空壕の類でしょうか。


成福寺の受難


新田義貞の鎌倉攻めの際、四世長老となる成円は北条高時の弟だったので、ここから追われてしまいます。それから再びお寺が再開する70年余りは無住だったそうです。また、九世長老の宋全の時に、どういう訳か後北条氏の迫害に遭います。この時に伊豆の北条にお寺が移り、十一世長老の西休の時にまたここに戻ってきています。

境内に並べられた石造物 近世のものに紛れて中世の五輪塔・宝篋印塔がみられる

成福寺境内


境内はそれ程広くありません。四脚門の山門をくぐり正面に本堂、そして庫裡が隣接しています。成福寺の山号を亀甲山(きこうざん)と云います。実際にも亀の甲山(かめのこやま)と呼ばれているそうです。宅地開発で破壊される前までは、山全体が亀の甲羅の形をしていたそうです。やぐらのような浅い掘り込みが施された丘陵壁面に沿いながら往時の裏山部分となる境内奥に進んでみました。あまり高くはありません。裏山部分頂部には厳島神社が隣接しています。小袋谷の鎮守なんだそうです。

亀甲山頂部から

鎌倉の浄土真宗


開山の成仏が師事した親鸞は、当時、戸塚の下倉田永勝寺に一時的に住していたそうです。普段あまり宗派など気にしていませんが『鎌倉市史 社寺編』では、浄土真宗寺社の紹介として、この成福寺しか記されていません。たぶん鎌倉には浄土真宗のお寺がここにしかないようです。あとは、鎌倉から少し離れますが、横浜市栄区となる上郷で光明時という浄土真宗のお寺を見かけたました。一遍が鎌倉入りを幕府から拒まれたことから、鎌倉外縁部に時宗のお寺が展開するという歴史がみられますが、浄土真宗も同じく幕府から好まれなかったのでしょうか、それとも親鸞がそもそも鎌倉での布教に力を入れていなかったのでしょうか。


目の前を横須賀線が通っています。成福寺の前面通りは往時の鎌倉街道です。そのまま戸塚方面に向かうと、離山富士見地蔵や青木神社などに向かえます。古道の趣きはありませんが、所々に庚申塔などの史跡が置かれています。




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探索期間 2013年7月~8月
記事作成 2014年1月23日



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