2014年1月17日金曜日

海蔵寺旧境内と源翁禅師


海蔵寺旧境内


海蔵寺の記事その②です。海蔵寺塔頭には開山塔の仏超庵の他、寂外庵・棲雲庵・昭用庵・崇徳庵・翠藤庵・龍雲庵・龍渓庵・福田庵・龍隠庵などが古文献や古絵図などに記されています。「もしこれだけの塔頭を擁していたとすると盛時におけるその規模は決して小さくない」と『鎌倉市史 社寺編』にありました。

鎌倉名勝図

上画像は、明和二年(1765)~安永八年(1779)に刊行された『鎌倉名勝図』の会下ヶ谷部分です。上記した塔頭が往時の海蔵寺及び周辺に所狭しと建ち並ぶ様が描かれています。現在は海蔵寺境内となる中心部以外は民家があるためほぼ確認できません。ただ、往時は周辺に塔頭があったのだろうと思わせるやぐらのような造作が丘陵壁面に確認できます。

推定昭用庵跡

推定崇徳庵跡

十六ノ井辺りでは隋道のような造作もみられます。全体的に寿福寺の塔頭跡に近い造作だと感じました。また総門手前には真光院という尼寺があったようです。それから丘陵裏側には100基以上ものやぐらが施された清涼寺ヶ谷が控えています。この辺りは本当にたくさんのやぐらがある土地柄なんですが、残念な事にそのほとんどが民有地となっていて確認できません。

十六ノ井に繋がる隋道?

蛇居ヶ谷切通跡


海蔵寺境内から直接行くことは出来ませんが、ちょうど海蔵寺裏山にあたる部分に大々的な切通しが施されています。海蔵寺を一旦出て化粧坂を登り葛原岡ハイキングコースを浄智寺・北鎌倉方面に向かうと確かめることができます。この辺りを蛇居ヶ谷と云うそうです。

蛇居ヶ谷の大堀切

普通にハイキングを楽しんでいると、ただの登り下りとなった道にしか感じませんが、よ~く観察すると、もの凄い掘割状が横たわっています。これは中央部を土橋状に細く掘り残した巨大な遺構で、そのまま大堀切と呼ばれています。城郭遺構が多く残されている化粧坂にあって、この大堀切はその化粧坂砦の北限に位置する施設としてとらえられています。

左右に掘割状が通っていて中央の道は土橋状となっている
切通しの向こうは急峻な崖となっていてちょうど海蔵寺の真裏となる

謎の源翁禅師


海蔵寺開山の心昭空外(しんしょうくうがい)を源翁(げんのう)禅師とも云うそうです。応永元年(1394)に海蔵寺の開山に迎えられています。大覚禅師五世の孫であるとも云われています。一方で海蔵寺にある『源翁禅師伝』では弘安三年(1280)寂とあり、さらにこの源翁禅師には「那須野の殺生石」といって、触れた者が皆死に絶えてしまうという霊石を現在の栃木県まで行って破壊してくるという逸話が伝わっています。しかもこの話しには鳥羽天皇や三浦義明らが登場します。鳥羽天皇の在位は嘉承ニ年(1107)~保安4年(1123)になります。これら全ての言い伝えを統合してしまうと、源翁禅師は300年に渡って生きていることになってしまいます。しかも1280年に一度亡くなってるし・・ 滅茶苦茶です。海蔵寺開山に携わった和尚と、1280年に亡くなった和尚、それから那須野殺生石の和尚、それぞれを別人として考えなければ合点がいきません。


『かまくら子ども風土記』によれば、海蔵寺はもとは真言宗のお寺で、建長五年(1253)六代将軍宗尊親王の命で藤原仲能がここに七堂伽藍を再建したとあり、また、そのお寺は元弘の乱で焼失しています。しかも風土記には「再建」とあるので、1253年以前に既にお寺があったことが伝わってきます。宗派、時代、関わっている人物からして海蔵寺の前身というより全く別モノのお寺がここにあったことがうかがえます。上記した源翁禅師の逸話が300年に渡っているのは、海蔵寺建立前にあったとされる鎌倉時代のお寺の伝承がまぎれているのかもしれません。



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探索期間 2011年8月~2013年5月
記事作成 2014年1月17日


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