2014年1月1日水曜日

朝比奈切通


朝比奈切通概要


朝比奈切通は、鎌倉の外港を擁する六浦と鎌倉を往来する六浦道の峠坂となります。『吾妻鏡』には、仁治二年(1241)に「六浦の道を造り始める」とあります。ですからこの頃に朝比奈切通が開通したのかと思ってしまいますが、これは拡張工事のようなものと解釈するのだそうです。実際にも健保元年(1213)和田合戦で落命した朝比奈三郎義秀が一夜にして切り開いたという伝承があるので、それ以前から原型となる道があったと思われます。



切通しにまつわる事情とその周辺


Google Map 朝比奈切通
①朝比奈砦 ②やぐら ③果樹園見晴台 ④小切通し ⑤平場 ⑥石切り場跡 ⑦熊野神社 ⑧やぐら ⑨やぐら ⑩六浦側出入口 ⑪鎌倉霊園  

十二所在住のご老公によると、切通し路に沿うように所在する鎌倉霊園(地図画像⑪)は、第二次世界大戦中旧日本軍陣地として平場を造成した跡地を墓地として活用しているそうです。また同じく切通し路に沿うように通る県道204号線は、こちらも旧日本軍が物資搬入のためなどの軍用路として当時開削しています。鎌倉霊園のある辺りを和泉ヶ谷と云います。霊園と道路でほぼ谷戸の跡形もありません。実際にも切通し路を少しでもコースアウトすると、すぐに霊園や204号が視界に入ります。厳密に云うと、霊園敷地内にそのまま入れる箇所もあります。この和泉ヶ谷と朝比奈切通は密接な関係にあったと思われます。

六浦・金沢を調べると、当時の幹線道路である白山道が朝比奈インターチェンジや関東学院大学のある辺りまで通っていた事が分かります。このように朝比奈切通の原型が和泉ヶ谷を通って白山道に達っしていた事を考えると、鎌倉期は出口付近がもう少し北側を向いていた、もしくはそちらに繋がっていたのではないかと思われます。

切通し沿いに残された土木遺構


朝比奈切通は一見して旧態を残す様相に見えますが、道が一直線でしかも底面がやたらと削平されています。道の途中には江戸期の石像・石塔がみられることからも近世においてだいぶ改修されたようです。前述した県道204号線の開通時期からも、もしかしたら近世どころではなく近現代まで幹線道路として用いられていたのではないでしょうか。



鎌倉の旧態を残す他の切通し路同様に石切り跡が随所でみられます。峠坂のピークには地蔵と思われるレリーフが施されています。切通し沿いに安置されている石像・石塔などと同様に造道中に亡くなられた方を供養するものなのかもしれません。

石切り跡の残る壁面に施されたレリーフ

鎌倉側から進んだ序盤に平場が現れます。平場の奥にはやぐらか石切り跡かちょっと私では判別し難い横穴がみられます。鎌倉の平場といえば、荼毘跡・寺院跡・曲輪などが考えられますが、なんと、予想を覆すことに茶屋があったそうです。それがいつまであったものなのか、また鎌倉期にどのような用途の平場であったのかといったところまで記す資料は見つかりませんでしたが、とにかくこの地が今でいうドライブスルーがあるような立地だったという事でしょうね。幹線道路としての名残りのが伝わってくるようです。

平場 

朝比奈峠やぐら群


朝比奈切通ではいくつかの地点でやぐらを確認する事ができます。『鎌倉市史 考古編』には14基とありましたが、それ以上あったような気がします。どのやぐらも道の北側に位置し、また道より高い位置にあるので、この切通し路が改修に改修を重ねて深く掘られてきたことがうかがえます。

朝比奈峠やぐら

『吾妻鏡』仁治ニ年(1241)の記事に前武州(北条泰時)が自ら馬で土石を運び造道の現場監督を行った様子が記されています。その時代にはこれらやぐらはもう少し低い位置にあったのかもしれません。


熊野神社は有力御家人の邸跡か


切通沿いにある熊野神社は社伝によるところ、頼朝がいた時代から存在したと記されています。私が覚えている限り、確か鎌倉各地にある熊野神社は単体で存在することはないので、ここには寺院もしくは誰か御家人の邸が他にもあったのではないでしょうか。御家人の邸だとすれば誰でしょう。考えられる該当者として朝比奈だけに朝比奈三郎義秀、または鎌倉側出入口付近に居たとされる上総広常、もしくは六浦の港を頻繁に利用したはずの千葉氏和田氏あたりでしょうか。また『鎌倉市史 考古編』によれば、この辺りで多数の五輪塔宝篋印塔が掘り出されているとあります。

熊野神社に向かう峠坂のピーク

金沢への道


切通しを進み金沢方面に近づくと、名越切通の大空洞・小空洞(おおほうとう・こほうとう)にも似た崖面が狭まった箇所があります。こちらも崖面上方にやぐららしき横穴が確認できます。

朝比奈切通の大空洞・小空洞?

金沢側出入口付近には、ひな壇状地形がみられます。鎌倉側に朝比奈砦と呼称される城郭遺構があったと周知されていますが、やはり金沢側にもそうした用途の地形が残されているのかもしれません。が、しかしこの上に高速道路が建設されているため、これら地形がいつどうしてこうなったのかと判断するのは難しいのかもしれません。

金沢側出入口付近のひな壇状地形
切通し路と現代工法の造作(高速道路)が交差する素敵なミスマッチ・ポイント
古道の証し 庚申塔

そして切通しはやがて六浦へと至ります。六浦・金沢エリアには源範頼が邸を構えていたとも伝わっており、次いで和田義盛の所領となっていた時期もあります。鎌倉時代では最終的に金沢流北条氏がこの港を抱える豊かな土地を治め北条氏内での家格を押し上げています。そして南北朝期には関東管領上杉氏と、いつの時代も有力者に統治される魅力的な土地柄だったようです。

金沢流北条氏の菩提寺称名寺と往時の六浦港



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