2013年12月19日木曜日

鎌倉の石切り場跡 


鎌倉における石切り作業は鎌倉時代から近現代に至るまで地元の大きな産業の一つとして盛んに行われていました。近世では江戸城構築における石材として鎌倉地産の石が切り出され運ばれていたそうです。江戸に石がなかったのか?、鎌倉地産の石が材質として良好だったのか?などなどいくつか疑問が生じますが、もしかしたら『吾妻鏡』の愛読者として知られる徳川家康が「武家の古都」にあやかって何かしら鎌倉ブランドのものが欲しかったのかもしれませんね。

Google map 鎌倉の主な石切り場跡
①山ノ内 ②今泉 ③二階堂 ④浄明寺 ⑤十二所 ⑥名越 ⑦極楽寺 ⑧逗子

鎌倉市教育委員会の調査報告書では、鎌倉の主な石切り場として、山ノ内・今泉・二階堂・浄明寺・十二所・名越・極楽寺が挙げられていました。また、現在は逗子市となりますが、神武寺に行った際、裏山と隣接する鷹取山が大々的な石切り場跡であったため、上地図画像の鎌倉石切りマップに付け加えてみました。ただ、規模の大小を問わず単純に石切り作業跡であれば鎌倉市内のいたる所で見ることができます。

鎌倉地方の地層


鎌倉市教育委員会の調査報告書では「鮮新世の逗子シルト岩層」「三浦層群の逗子シルト岩層」「深沢凝灰質砂岩層」「深沢凝灰質粗粒砂岩層」「池子火砕岩層」などとちょっとちんぷんかんぷんな難しい用語で鎌倉の地層を説明していました。鎌倉という狭い地域の中だけでも専門的な言い方をすると色々と説明の仕方が違うようです。とにかくそんな事言われてもよくわからないので、鎌倉地方全体の地質を大まかにわかりやすく説明すると、鎌倉地産の石の特徴として、それほど硬くないので加工しやすい一方で風化しやすいという特徴が挙げられます。

浄明寺地区 報国寺のある宅間谷の石切り跡

石切り場跡の形状


なかなか石切り作業の行程を記した本など見つからないので、私自身石切り作業そのものを理解している訳ではありませんが、これまで見てきたところ、城壁のように直線的に切り出したものと、窟穴のように掘り込み細かい切り出し跡がみられるものがありました。鎌倉にはやぐらや横穴墓という窟穴があるので初心者にはちょっとややこしいことになります。

大町釈迦堂口遺跡 城壁のように直線的に削られたもの
名越の窟穴タイプ 大きさを伝えるため実際の人の大きさをコラージュしてみました

壁面を大きく削っている場合は大きなサイズで切り出し、窟穴の場合は小さいサイズの石を切り出しているのかもしれません。窟穴ではあたかも石塔を作るためのような細かい削り跡が内部でみられます。

建長寺裏山と天園ハイキングコースの間にある石切り場跡 こちらもコラージュ付き

石切り場特有の文字


石切り場跡をよ~く観察すると、なんと文字が削られています。彫られた文字がいつの時代のものかはわかりませんが、上記したように鎌倉地産の石は風化に弱いので、明確に読み取れるものは近世から近現代のものと思われます。

①名越 ②鷲峰山 ③鷲峰山 ④名越 ⑤神武寺 ⑥神武寺

上画像からもわかるように読めそうで読めません。特に④の名越にあるものなどは、明確に字体がわかりますが、小に冠っって・・そんな字あったっけ?と首を傾げてしまいますね。ちなみにIMEパッドで調べてみましたが、やはりこんな字は存在しません。ただ「仚」という字が一番の近似候補として挙げられていました。ちなみにこれは「ケン」と読むそうです。ということで、このことからも石切り職人さん達はどうやら独自の文字を持っていたようです。アーティストが自分の絵画にサインするのと同じ感覚なんでしょうか、それとも作業工程上、図面のような意味合いで印すのかもしれません。もしくは昔はこんな字があったとか・・

また、こちらは天園ハイキングコース沿いにある壁面ですが、現代の観光客が彫ったと思われるアルファベットなどの文字に紛れて上画像とはまた違う雰囲気のものがみられます。虫のような形をしたもの、田という文字のようなものなどなどです。


長い年月をかけて偶然このような形状になったと考えるのが妥当なのかもしれませんが、何か意図して削られているようにも思えます。


ちなみにネットで色々と調べていて偶然に知ったのですが、皆さん「神代文字」というのをご存知でしょうか。漢字伝来以前、つまり聖徳太子の時代より以前に日本にあったという文字の事です。そんな歴史がひっくり返るような神秘的な文字が存在したら凄いことですが、真意のほどは定かではないようです。下画像はWikipedeiaからいただいたその神代文字画像です。

神代文字

何か記号のように感じもしますが、こんなのが鎌倉の丘陵壁面に刻まれていたら凄い発見ですね。しかし当てはまる感じがしませんでした・・ 残念。


個性的な石切り場跡


石切り場跡はだいたいどの地域でも似たような雰囲気なのですが、たまに洒落なのか、面白いものを見ることができます。下画像は鎌倉に訪れた方なら目にしたことがあるのではないでしょうか、朝比奈切通にある仏像か何かのレリーフです。割と浅い彫り込みでこれだけ明瞭な状態なので、明治・大正ぐらいのものでしょうか。どんなに古くても近世かと思われます。石切り作業が安全に行われるように、もしくは道行く人達の旅の安全を願ったものなのかもしれません。

朝比奈切通のレリーフ

そしてこちらは神武寺にあった俳句が刻まれた石切り場跡です。この画像だけだと伝わらないと思いますが、一文字の大きさがだいたい1mぐらいだったでしょうか。石切り場としての大きさもさることながら廃墟のような雰囲気が漂うなかなか興味深い石切り場跡でした。こちらの記事で紹介しています。鎌倉の寺社裏山で気になる地形などを見つけた際、それが石切り場跡とわかると「なんだぁ~」となってしまいますが、こんな石切り場跡ばかりだったら逆にテンションが上がります。面白かったです。

石切り場跡壁面に刻まれた俳句
俳句石切り場跡の全体 右側壁面に俳句 こちらもコラージュ付き

その他の石切り場跡


名越と山ノ内にあったよくわからないけど不思議な形状にみえる石切り場跡の壁面。何をどうやったらこんなことになるんでしょう。


石切り場壁面にみられる杭?か何かを打った跡。やぐら玄室前面に施された扉を付けた跡に似ているためややこしいのですが結構よく見かけます。


ということで、鎌倉遺構探索には付き物である石切り場跡ですが、「城郭遺構かと思ったら石切り場だった」「やぐらだと思ったら石切り場だった」などなどガッカリさせてくれることの多い石切り場も、こうやって色々な視点で観察してみるとそれはそれで遺跡・遺構として魅力的に感じることもあるんですよね。


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