2013年12月22日日曜日

名越坂 


名越坂概要


名越切通(以下名越坂)は、鎌倉の大町・材木座と三浦半島を往来する道で、整備時期は六浦道山内道の造道(「吾妻鏡」仁治元年(1240)に記述)とほぼ同じ頃とされています。また、古代の官道である古東海道が名越の南西方面にあたる飯島付近から小坪へと通じていたようなので、少なくとも原型となる道筋は幕府開幕当初からあった可能性が高いと考えられています。そして「名越坂」の文献上における初見は『吾妻鏡』の天福元年(1233)8月18日となっています。

下地図画像は名越坂及び名越坂のある丘陵部一帯に分布する遺跡群を表記しています。赤いラインが名越坂で白のラインが丘陵部ハイキングコースです。細かい位置情報などは最下部にあるグーグルマップでマーカーにて印してあるので、詳細を知りたい方はそちらで確認してください。

Google Map 名越丘陵部
赤の数字①名越坂鎌倉口②名越坂緑ヶ丘口③名越坂亀ヶ岡口
白の数字①まんだら堂②石廟③法性寺④大切岸⑤石切り場跡⑥浅間山南山腹やぐら群⑦ハイランド出入口

名越坂はあの世への入口?


下画像は名越坂の鎌倉口から眺めた景色です。真下に横須賀線線路、中央奥やや左に長勝寺が見えます。そして安国論寺妙法寺から連なる古道がここ名越坂に往時は通じていたそうです。これら日蓮宗名越寺社が集中する松葉ヶ谷の入口で安国論寺の手前にある三枚橋の三枚とはおそらく三昧から転訛したものと考えられています。「三昧とは三昧寂光の意で涅槃(悟りの境地・死)の別称である」と逗子市教育委員会の策定報告書にありました。つまり中世の人達は死を意識してこの名越坂を越えていたとのことです。切通し路や橋の向こうを別世界と捉える昔の人達ならではの価値感でしょうか。三昧橋から松葉ヶ谷に入り名越坂を登ると三昧場(葬場・墓地)と呼ばれたまんだら堂やぐら群に至ります。

名越坂鎌倉口からの景観

長勝寺から名越坂に向かう途中に「日蓮乞水」といって日蓮が掘り当てたと伝わる水源の跡が残されています。室町期に作成された日蓮伝記資料には(日蓮が)「毎日名越山中に入りて高声に妙法首題を唱う」とあるそうです。これらの事からもどうやら日蓮さんがこの辺りを往来していたようです。

日蓮乞水

丘陵の緑地地帯入口には、ある意味鎌倉名物でもある首のない石像と古道の証しとなる庚申塔などの石塔がお出迎えしてくれます。

名越坂鎌倉口にある欠損した石塔と首のない石像に庚申塔

コンクリート舗装された登り道から旧態地形となる丘陵部に突入します。何度も訪れましたが毎度の事ながらちょっとしたジャングルのようです。



しばらく登り坂を行くと切通し路に出ます。鎌倉七口に数えられる名越坂は、大仏坂朝比奈切通などと同様に旧態を残した趣のある古道です。何度見てもこの「掘割ってる感」が素晴らしいです。



現在の切通し路は中世の名越坂ではない?


切通し路での発掘調査の結果、路面には少なくとも4回の改修工事が行われていることが確認されています。また最下層の路面からは18世紀以降の遺物しか発見されていないことから、現在ある切通し路は近世以降からのルートだと考えられています。つまり『吾妻鏡』に記された「名越坂」とはコースが異なるようです。逗子市教育委員会の調査報告書では「恐らく中世には現在よりも傾斜のきつい難路でルートも現況とは異なっていた可能性を考えなくてはならない。」とありました。かなり残念です。

切通し路にある置石のような造作

『新編鎌倉誌』の名越切通の項に「大空洞小空洞」(おおほうとう・こほうとう)という記述がみられます。「甚だ嶮岨にして道狭し、左右より覆たる岸二所あり、里俗大空洞・小空洞と云ふ」とあります。切通し逗子側出入口にある下画像の辺りを表現したのではないかと云われていますが定かではありません。がしかし、やはりどう考えてもこの箇所のことに言及していると思われます。ですから少なくとも我々は黄門様とほぼ同じ状態の切通し路を見ているのではないでしょうか。切通し路で最も狭まったこの箇所は、現在90cm程の幅なのですが、以前は270cm以上あったことがわかっています。つまり名越坂をはじめとする鎌倉の切通し路は時代と共に地震などによる崖の崩落によってコースやその姿を変えてきたようです。

切通し路の最も狭まった箇所は大空洞・小空洞か?


中世の名越坂は何処へ?


逗子市教育委員会の臨時公開資料によると、亀ヶ岡口、つまり上画像の大空洞・小空洞のある付近で15世紀以前のものと考えられる掘割状遺構が見つかったとありました。これが『吾妻鏡』に記された中世の「名越坂」とは一概には判断出来ないようですが、今後の調査進展によっては新説が発表されるのかもしれません。中世では尾根道が多用されていたようなので、意外とまんだら堂や現在のハイキングコースが中世の名越坂の一部なのかもしれません。

まんだら堂やぐら群

ハイキングコース尾根道からは鎌倉市街地を見渡せます。由比ヶ浜を眺めることができたと云われる古代官道の条件にも当てはまるような気がします。策定報告書では『源平盛衰記』の小坪合戦の項にある「馬に打乗り、犬懸坂を馳せ越して名越にて浦を見れば、四五百騎が程打囲みて見えけり」という和田義茂が援軍に駆けつける有名なシーンにおけるこの「名越にて浦を見れば」は、ここ名越坂付近ではないかと推測していました。私はてっきり小坪合戦という名称からも小坪坂付近での状況かと勝手に思っていました。小坪坂の記事でもそう記しました。専門家の先生が言うのだからかなり信憑性は高いと思われます。がしかし、鎌倉の歴史はほとんど推測で成り立っているのでとりあえずそちらの記事は据え置きにしておきます。皆さんは和田義茂が畠山重忠の軍勢を視界に捕らえたのはどの辺りだと考えるでしょうか。

名越山ハイキングコース尾根道から眺めた浦(由比ヶ浜)



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探索期間 2011年7月~2013年12月
記事作成 2013年12月22日


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