2013年10月18日金曜日

龍口寺


山号寺号 寂光山龍口寺
建立   慶長六年(1601)
開山   日尊
開基   島村采女


山門

龍口寺縁起


寂光山龍口寺(じゃっこうさん・りゅうこうじ)は、日蓮が処刑されかけたと云われる文永八年(1271)に起きた「龍ノ口の法難」跡地です。そもそもこの辺り一帯が刑場跡地なんだそうです。延元二年(1337)に日法が敷皮堂を建て祖師像を安置したのが始まりとされています。また『かまくら子ども風土記』では、草庵を営んだのが六老僧とも云われると記してありました。ちなみに祖師堂(本堂)にご本尊として祀られている日蓮像の両隣にはその六老僧と加藤清正(日蓮宗に深く帰依していた)の像が祀られています。慶長六年(1601)日叡が発願し、津村の島村采女という人が土地を寄進して現在の龍口寺になりました。明治16年(1883)に住職を置くまでは、輪番八ヵ寺といって近くにある日蓮宗の八つのお寺が順番に龍口寺を守っていました。

祖師堂と後ろにちょっと五重塔が見える
大書院

仁王門から山門を経て祖師堂へ連なる一直線のラインが壮大で、境内は裏山を含めると結構広めです。山門は安政五年(1858)~元治元年(1864)頃に建てられたと云われています。祖師堂は天保三年(1832)の改築で、裏山には明治43年(1910)に建立されたた五重塔七面堂仏舎利塔があります。大書院は総ヒノキ造で信州松代藩の藩邸を移築したものなんだそうです。


御霊窟と龍ノ口の法難


境内には古墳時代末期横穴墓があります。これを龍口寺では御霊窟と称しています。日蓮が龍ノ口の法難の際に一晩ここに閉じ込められていたそうです。また他にもいくつか横穴がみられます。『とはずがたり』の作者で有名な後深草院二条でさえ江ノ島で宿をとった際、洞窟のような場所に一泊したそうです。そんなことからも日蓮がここに閉じ込められたという話しもあながち有り得るのかもしれません。

御霊窟
自分の教え以外は全て悪といった言動を貫いた日蓮は、方々から恨みを買っていました。それがいつしか文永八年(1271)の「龍ノ口の法難」につながります。幕府に捕らえられここで処刑されることになりましたが寸前で中止となります。日蓮宗では色々な伝説が語られていますが、時の執権で北条時宗の妻が懐妊したことから、恩赦によって斬首から流刑に軽減されたと考えるのが妥当なようです。
もしここで日蓮が処刑されていたら、後世にてここまで日蓮宗が隆盛することはなかったでしょう。浄土宗や律宗との宗教戦争に負けた宗祖として人々に記憶の片隅に残った程度だったかもしれません。さすが大物、運を持っていたようです。

龍口寺裏山


祖師堂を正面に見て左右どちらにも裏山へ登頂出来る登り道があります。右側から進むと効率的でしょうか。私の安物のコンパクトカメラだと遠景が白くなってしまいますが、登り道途中から江ノ島の海が見えてきます。


山腹に五重塔があります。上記したとおり明治43年(1910)に建てられています。見上げる大きさでしかも木々の関係で全景を捉えられるアングルがありませんでした。

五重塔

五重塔の後ろには怪しい横穴がみえます。なんでしょう・・


そこから頂部まで行くと、墓地として活用されている平場に出ますが、尾根を断ち切るかのような堀切らしき造作がみられました。往時に刑場のような忌むべき地に誰かしら御家人の邸があったとは思えません。何でしょうかこれ。

裏山の堀切のような造作

裏山尾根はちょっとしたプチハイキングコースのようです。仏舎利塔のある平場に向かうと七面大明神を祀る七面堂があります。

七面堂

釈迦如来像を祀る仏舎利塔の平場です。・・日本じゃないいみたいです。

仏舎利塔

仏舎利塔平場からの展望。江ノ島の海が展望出来ます。マンションなどの建物でちょっと隠れていますが江ノ島が正面に所在しています。



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探索期間 2013年5月
記事作成 2013年10月18日

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