2013年10月17日木曜日

霊光寺 田辺ヶ池


霊光寺縁起


稲村ヶ崎からも近い七里ヶ浜の奥地に霊光寺という日蓮宗のお寺があります。日蓮雨乞いの旧蹟として知られていて「田辺ヶ池」「金洗沢池」などと呼称される中世にて雨乞いに用いられた龍池が現存しています。『かまくら子ども風土記』によれば、享保二十年(1735)に江戸講中によって建てられた「日蓮大菩薩祈雨之旧蹟地」などと刻まれた石塔が発見されたことからこの地を日蓮の雨乞いの旧蹟とする事になり、霊光寺が建立されたそうです。それがなんと昭和32年(1957)という最近の話しなので、霊光寺は鎌倉で最も新しいお寺なのかもしれません。

霊光寺山門

極楽寺境内絵図に描かれた池


そんな日蓮宗の霊地として扱われている田辺ヶ池ですが、極楽寺境内絵図をみると、なんと、田辺ヶ池が描かれています。画像の矢印①に「田那谷龍池」と記された箇所です。ですから往時ではこの池は律宗極楽寺の龍池だったものと思われます。

極楽寺境内絵図 田那谷龍池
①田那谷龍池 ②王龍宮 ③月影地蔵院 ④極楽寺熊野那智社拝殿

田那谷龍池の近くには阿仏尼が住んでいた事で知られる月影ヶ谷極楽寺熊野那智社聖福寺ヶ谷)が描かれています。実際には田辺ヶ池と月影ヶ谷や聖福寺ヶ谷はこんなに近接していません。これは厳密に地理を描いているのではなく、現在の七里ヶ浜まで極楽寺の範囲だったという事を伝えているようです。また『性公大徳譜』によれば、正安三年(1301)忍性がこの田那谷龍池で祈雨祈祷を行い寺まで帰らないうちに大雨になったという記録が残されているそうです。

現在の田辺ヶ池

霊光寺山門脇を通って境内に入ると、墓地と駐車スペースとなっています。本堂は丘陵を登った所にあります。さすが昭和創建のお寺、鎌倉寺社のセオリーに当てはまりません。

丘陵を登る道

尾根に出ると日蓮宗らしくここにも力強い日蓮像が安置されています。

日蓮像 後姿

そしてその日蓮像が眺める景色ですが、木々が邪魔であまり見晴らしが良くありません。


忍性も祈祷に訪れた律宗に関連した地なので、やぐらの一つでも施されていてもよさそうですが、何一つ見当たりませんでした。でもそういえば、同じく祈雨祈祷の地として活用されてた仏法寺にもやぐらがありませんでした。どうやら祈祷と葬送は別物のようです。

手水舎?と奥が本堂

尾根から見下ろした場所に結構広めのスペースがあります。掘割状とは違うように思えますがとても気になる地形をしています。何とも言い表せない雰囲気を感じました。もしかしたらここが往時の龍池なんじゃないか・・という思いがふと頭をよぎります。

尾根から見た地上部平場

周辺は自然が残されていて、また、よく見ると底面が湿地帯のように思える箇所もあります。往時の龍池はもっと大きかったのかもしれません。ちなみに極楽寺、仏法寺跡、熊野那智にもあった龍池は既に失われています。また忍性が極楽寺建立の際、土地の選定をした基準に「龍池があったから」と寺伝にありました。「水」が何かしらの力を秘めていると忍性などの中世の僧侶は考えていたのかもしれません。現代のいわゆるパワースポットみたいな考えでしょうか。


雨乞い合戦


ちなみに忍性と日蓮が雨乞いの祈祷合戦をして、日蓮が勝負に勝ったという伝説が日蓮宗に伝わっています。ですが、こちら有隣堂の鎌倉の史跡における専門家先生方の座談会によれば、雨乞い合戦は「後世につくられた伝説」と言及しています。さらに、これを聞いた日蓮宗関係者が忍性との雨乞い合戦は「日蓮の伝記のハイライトなので架空の話では困る」と言っていたと面白いエピソード付きで語られていました。



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記事作成  2013年10月17日


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