2013年9月28日土曜日

嶺松寺跡


山号寺号 金剛山嶺松寺
建立   鎌倉末期~南北朝期
開山   月窓元暁
開基   千葉氏


嶺松寺があった谷戸

嶺松寺縁起


金沢上行寺のお隣にあった嶺松寺(れいしょうじ)は、建長寺末寺で、開基を『新編鎌倉志』では千葉介胤義と記されています。また開山と云われる月窓元暁貞治元年(1362)に亡くなっているので、このことからも嶺松寺の創建は少なくとも貞治元年(1362)以前となります。一方で『千葉大系図』には金沢顕時の妻が開基と記されているそうです。この顕時の妻とは側室で千葉泰胤の娘なのでどちらにしろ千葉氏に関連した人物です。新編鎌倉志の云う「千葉介胤義」なる人物の詳細がよく分からないので、上記した顕時の妻で千葉泰胤の娘を開基として考えると、創建はギリギリ鎌倉時代に遡ることになるでしょうか。
また、建長寺の末寺なので北条氏に関連した土地柄かと思われましたが、開基候補となる人物などから瀬戸神社の神職に就いた千葉氏が深く関わっているようです。お隣の上行寺開山である日祐も千葉氏の出です。

六浦氏


嶺松寺(下地図画像①)があったこの谷戸は「殿ヶ原」「堀ノ内屋敷」とも呼ばれていました。土着の豪族であった六浦氏の邸があったことに地名が由来するようです。

Google Map 嶺松寺谷戸
①嶺松寺跡 ②上行寺 ③地蔵堂跡 ④能仁寺跡谷戸 赤○やぐら

健保元年(1213)和田合戦において「六浦三郎」という名が『吾妻鏡』にみられます。当時の六浦の地を所領していた和田義盛に味方して合戦に参加しています。和田義盛が敗れたことにより六浦の地が北条氏の所領となっていることから、もしかしたらその六浦氏も所領などを没収されたのかもしれません。
お隣の上行寺(地図画像②)の開基は日荷といって、金沢区のHPによると、もとは六浦平次郎という商人でした。この平次郎が和田合戦に登場した六浦氏と同一氏族なのかという確実な証拠は残念ながら見当たりませんでしたが、苗字からして同じ一族でその末裔と考えられるのかもしれません。また、この嶺松寺がいつ廃寺となったのか分かりませんが、建長寺の末寺なので、他の鎌倉寺社同様少なくとも永享十年(1438年)の鎌倉府消滅頃辺りまでは健在だったかと思われます。

お隣の上行寺

地蔵堂


谷戸内は本当に跡形もなく住宅街となっています。そして谷戸の最奥にやぐらがあったそうですが、地図画像を見てもらっても分かるとおり、丘陵部には崩落防止のための工事が完璧に成されています。やぐらは既に失われていると思われます。また谷戸の入口付近に地蔵堂があった事がかながわ考古学財団の『上行寺裏遺跡』に記されています。この小谷戸奥の壁面にもやぐらがあるそうですが、民有地のためあまり確認できません。

今にも壊されそうなやぐら

唯一ちゃんと目視できるのがこちらの月極め駐車場敷地内にある横穴です。

地蔵堂跡やぐら?

凄い大きなやぐらがあったんだなぁと感心していたのも束の間、これはちょっと大き過ぎるでしょうか・・ 鎌倉最大と言われる明月院のやぐらがスッポリ入ってしまいそうです。もしかしたら防空壕の類かもしれません。なにぶん高い場所にあって、しかも駐車場とはいえ民有地なので、あまりウロウロできません。ちょっと詳細が分かりませんでした。

御伊勢山


上行寺や浄源寺跡から連なる尾根道からこの嶺松寺谷戸の最奥にあたる丘陵部を少しだけ確認できます。この辺りを御伊勢山と云うそうです。

御伊勢山尾根

いつの時代のものかは分かりませんが、地形は人為的な造作が施されています。ただ、石切り跡が近くでみられるので、「~跡」といったような期待をもっても肩すかしをくらいそうです。


石切り場跡

確実なものとして、尾根から谷戸へと続く掘割状がみられました。

位置的にも嶺松寺へと続くと考えられる掘割状

掘割状はそのまま丘陵の裏側にあった能仁寺の谷戸(上地図画像④)へと続いているように思えます。能仁寺谷戸は近世において陣屋として開発されてしまいましたが、能仁寺も同じく建長寺の末寺だったので、中世からこのような尾根道の往還路があってもおかしくありませんね。


ちなみに『江戸名所図会』には「米倉家陣屋の上」で「上行寺の後の山」に「知足山龍華寺の旧地あり」とあります。この旧地とは上行寺東遺跡と呼ばれる浄源寺跡を指していると思われます。現在の龍華寺は明応八年(1499)にこの浄源寺と光徳寺が合併したものなので、間違いないでしょう。同書での記述があまりにも達筆なので、あまり読み取れませんが、そこに「畑道」「花蔵院橋」「龍華寺支院花蔵院の門前」と読み取れます。これだけだとあまり意味が通じませんが、どうやら陣屋の上で上行寺の後ろの山に道・橋・門があったのだと思われます。尾根に橋があったとは思えないので、これは遺跡の上に建てられたマンションの辺りに道・橋・門があったと捉えるのが妥当かと思われます。ただ、上行寺の後ろの山、つまりこの辺りにも道があったのだと思います。

尾根から見た能仁寺があった谷戸



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カテゴリー 探索記事(エリア別 六浦・金沢
記事作成  2013年9月28日

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