2013年9月5日木曜日

常盤地区 御所ノ内


常盤地区の記事その②です。
御所ノ内という字名が残された区画にある「タチンダイ」と呼ばれる谷とその西隣の谷を合わせた約1200坪の敷地には北条政村邸があったという伝承が残されています。ですからこの地には『吾妻鏡』にも記されている将軍や貴族などを招いて歌会が開かれていたという「常盤亭」が所在していたものと思われます。

Google Map 常盤地区
①桔梗山②一向堂③御所ノ内(政村邸跡)④法華堂跡⑤峰山⑥義政邸跡⑦殿入下⑧円久寺・八雲神社⑨殿入⑩大丸

一戸主 八戸主 十八戸主


東京だと50坪の一戸建てに対して特別小さいとも感じない現代人の我々の感覚からすると、1200坪って・・広すぎてあまりピンときませんね。『よみがえる中世』によると、鎌倉の一般的な御家人の邸地が一戸主という単位の広さだったと記されています。一戸主を坪数で表すとだいたい140坪ぐらいになります。ですから政村邸は大よそ八戸主、つまり一般御家人の邸の7~8倍の広さになります。へぇ~とこれで話しは終わらず、北条氏などの政治の中心にいた最高級クラスの階層となると、本邸・別荘・山荘の豪華夢の三点セットを所有していました。常盤亭はあくまでも政村の別荘です。小町にあったと云われる本邸と、どこかにあったのでだろう山荘を加えると、政村の鎌倉における邸地は八戸主どころではなくなります。ちなみに得宗の高時は、本邸だけで十八戸主の広さを有していたそうです。

タチンダイ平場

北条政村邸


政村邸跡一画にある「タチンダイ」とは「館の台」「立ち見台」などから訛ったものと考えられるそうです。


丘陵部寄りに入って行くと、ひな壇状地形の高低差が確認できます。

タチンダイ平場奥のひな壇状地形

調査報告書では、発掘調査の際に側溝や水路などが確認されたとありました。その調査報告書が指しているものなのかよく分かりませんが、現地では実際に溝状が平場の底部にみられました。ただ、タチンダイはあまりにも広大な平場が見渡す限り削平されているので、後世にて田畑として利用されたのかもしれません。もう一度タチンダイ入口に戻って、谷の側面に設けられた道を伝って先ほどのひな壇状の上の平場に向かいます。下も広いですが上も広いです。谷の最奥にはやぐらが施されています。地中に埋もれたものもみられるので総数は不明です。

タチンダイ最奥にあるやぐら
地中に埋もれたもの

やぐらのある丘陵部壁面を辿っていくと、穴がいくつかみられました。やぐらの羨道部などにある扉などを付けるための造作でよくみらるものと似ています。壁面の高い位置にあるので、建物か何かに関連するものかもしれません。


そしてこのやぐらのある平場から丘陵頂部に出ると、尾根上に平場と微妙に人為的と思われる地形が確認できます。平場は畑として活用されているので、当時からの遺構なのかは不明です。

尾根上の平場

このまま尾根を伝って西側に行くと野村総研跡、東側に行くと佐助となります。大仏裏ハキングコースの序盤にあるS字状堀切道の辺りに出ます。そのままアッという間に源氏山に行けてしまいます。こんな便利な尾根道を鎌倉時代の人達が使ってない訳がないので、元々このような道筋があったと思われます。

佐助に向かう尾根道

タチンダイのの西隣にある谷も空地として残されています。こちらでは発掘調査によると、礎石建物 水はけの側溝 井戸などが検出された他、金銅製水滴 骨製サイコロ 石製硯(すずり)をはじめ多くの土器・陶磁器類が出土したそうです。いかにも御家人の邸跡といった遺物がみつかっています。

タチンダイ西隣にある平場

しつこいようですが、こちらでもひな壇状地形の段差が確認できます。


丘陵部には掘割状がみられます。実はこれと同じ形状のものが義政邸付近で多くみられます。調査報告書では「竪堀」と記されていました。これも同じ類のものと思われます。この竪堀状がセオリー通りの形状であれば、尾根上にある堀切状がそのまま地面まで到達している状態となります。

丘陵部掘割状

常盤亭


『吾妻鏡』によると、康元元年(1256)8月20日に、政村の「常盤別業」(常盤亭)に将軍宗尊親王が23日に初めて訪問する予定だといった記事がみられます。そしてその23日には、宗尊親王をはじめ数十人の御家人・公家が訪れ、政村、重時、時頼、名越時晃、二階堂行儀らがあらかじめ常盤亭に控えていたと記されてあります。その他、邸宅入口にはかなり広い「出居」(居間兼来客接待用部屋)に、「泉屋」という泉水を設けた庭園があった事が文面から分かっています。つまり、常盤亭とは、将軍や公家、御家人を迎え入れられる立派なお屋敷で、なおかつ大勢の人が居座れる規模を有し、入口にはエントランスのような出居、奥には池のある庭園にそれらを鑑賞できる建物があったと考えられています。


弘長三年(1263)の記事では「一日千首探題」といって、参加者各人がクジを引いて題を取り、それで歌を詠んで懸物(賭)をして楽しむという歌会が開かれていることがうかがえます。安部範元による和歌の添削によって、トップは真観入道(続古今和歌集の編者)、政村は2番(総勢17人)だったので、歌人としての腕前もなかなかだったようです。がしかし、現代でも接待ゴルフなどといった日本人特有の文化があるように、北条氏長老の機嫌をとる順位付けだったという見方も考えられるかもしれませんね。



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探索期間 2011年8月~2013年5月
記事作成 2013年9月5日

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