2013年9月30日月曜日

能仁寺跡


山号寺号 福寿山能仁寺
建立   永徳二年(1382)
開山   方崖元圭
開基   上杉憲方


能仁寺があった谷戸

能仁寺縁起


能仁寺跡は京急金沢八景駅から歩いてすぐの場所にあります。関東管領として知られる上杉憲方により永徳二年(1382)~三年(1383)に創建されました。当時は諸山に列しています。室町期の建長寺末寺で関東管領が創建に関わっているので、それは大そう見事な禅寺だったのではないでしょうか。
かながわ考古学財団『上行事裏遺跡』には、能仁寺は「七堂伽藍を有した」「上杉氏の六浦支配の宗教的中核であった」と記されています。六浦における関東管領上杉氏の一大拠点であったのでしょう。上杉憲方は明月院の開基としても知られています。憲方の墓と伝わる明月院やぐらや極楽寺坂の層塔など見事で貴重な史跡が現在に残されていますが、彼の誇っていた権力と鎌倉(関東)における影響力が伝わってくるようです。天正十九年(1591)の『建長寺文書』に「能仁寺」の記載がみられますが、貞亨二年(1685)の『新編鎌倉志』には「旧蹟」と記されています。ですからこの期間にどうやら能仁寺は廃絶したようです。

伝上杉憲方墓 明月院やぐら

オヤシキ谷戸


能仁寺があった谷戸を「オヤシキ」と呼ぶそうです。お寺がオヤシキと呼ばれたとは思えないので、金沢藩陣屋がここにあったことにその名が由来すると思われます。徳川綱吉の御用人から若年寄に出世し大名となった米倉昌尹から四代目となる米倉忠仰享保七年(1722)にこのオヤシキ谷戸に陣屋を構えました。
その際にこのオヤシキ谷戸にあった能仁寺の塔頭とも云われる泥牛庵と慶蔵院が移転させられています。ですからどちらかというと、オヤシキ谷戸は金沢藩の陣屋跡として知られているようです。

Google Map オヤシキ谷戸
①国道16号 ②泥牛庵(御茶山) ③表門 ④京急金沢八景駅 ⑤やぐら群 ⑥笠森稲荷神社 ⑦撮影位置 ⑧裏口

上地図画像⑤の辺りがコンクリート舗装されているのが分かるでしょうか、調査報告書によると、あの壁面一帯にやぐらが施されていたそうです。20基近く確認されています。そして地図画像③が陣屋の表門、⑧が裏口とされています。この③と⑧に限っては厳密な位置が分からないので、大体こちらの方に出入口があったと考えてください。画像②の泥牛庵は御茶山と呼ばれた藩主の見晴らし台であったそうです。これらのことから鎌倉寺社のセオリーから察する本堂・拝殿位置は、表門③が能仁寺の山門であったとすれば⑥⑦辺り、裏門⑧が山門であれば⑤⑥辺りにあったと考えるのが妥当でしょうか。ちなみに⑦は今回使用したオヤシキ谷戸を撮影したポイントです。

撮影位置から眺めた景色 ①京急線路 ②泥牛庵 ③金龍禅院裏山 ④裏口に通じる道

笠森稲荷大明神


この谷戸で唯一旧態が残されている箇所が上地図画像⑥の辺りで笠森稲荷神社がある場所です。この神社に関する資料が見当たりませんでした。他地域にある笠森神社の縁起からは、どうやら近世に流行したものであるようです。ですから能仁寺とは関係がないように思われます。ただ、住宅街より一段高くなった場所にこうした平場が造成されています。もしかしたら中世からの造作かもしれないと考えてしまいます。

笠森稲荷大明神
神社平場から谷戸を眺めたもの 地上より高い位置にあるのが分かるでしょうか

能仁寺裏山


上行寺浄源寺跡、円通寺跡などからこのオヤシキ谷戸の裏山部分へアクセスできます。この辺りを権現山と云うそうです。下画像は能仁寺裏側からも近い尾根です。


地図画像⑦の辺りではここから谷戸へ下りていく道筋とも思える掘割状が確認できます。しかしすぐその先にはコンクリートの壁が施されていて詳細は不明です。


さらに地図画像⑤⑥のやぐらと笠森稲荷神社の裏側では明確なひな壇状地形が確認できます。権現山から連なる御伊勢山と、この辺り一帯で石切り跡がみられますが、この場所はそれだけではない雰囲気を醸し出していました。地形があまりにもはっきりしているので、近世の造作なのかもしれません。

ひな壇状地形 通行路幅程度の平場が連続する

また、こちらはお隣の谷戸にある円通寺と裏山を共有している箇所なので、どちらの造作跡なのか何とも言えない部分もありますが、瑞泉寺など鎌倉寺社の裏山で何度か見かけたことのある人の手が加わったような大きめな石があった他、よく分からない造作が底面にみられました。

人為的な造作が施された大きめな石
何なのか分からないが目的意識を感じさせる造作

引越村


『新編鎌倉志』ではここオヤシキ谷戸を「引越村」と記しています。永享の乱の際、戦況不利に陥った鎌倉公方足利持氏が鎌倉御所からこちらの称名寺に逃れてきます。この時金沢周辺で合戦が行われ、持氏側で戦っていた海老名尾張入道が六浦引越の道場で自刃したとされています。その引越の道場が泥牛庵とも浄源寺とも云われているそうです。どちらにしろこの辺りですね。

泥牛庵裏山から眺めた景色 国道やシーサイドラインが見える



より大きな地図で 金沢・六浦 を表示

カテゴリー 探索記事(エリア別 六浦・金沢
記事作成 2013年9月30日

六浦・金沢エリア関連記事


六浦・金沢

六浦・金沢エリアをマクロ視点で解説

金沢から見える景色

金沢の史跡から見える景色をまとめてみました

称名寺

金沢を代表する寺社で金沢流北条氏の菩提寺

称名寺旧境内

称名寺境内絵図から往時の称名寺の姿を検証

金沢文庫

駅名ともなった有名な北条氏の文庫跡は金沢流北条氏の邸跡で御所だった?

称名寺裏山ハイキングコース

旧態が残された称名寺の壮大な裏山を堪能するハイキングコースを紹介

浄源寺跡

忍性や吉田兼好が住したとも云われる上行寺東遺跡と呼ばれる寺院跡

上行寺

土着の六浦氏が開基となった地元密着型のお寺

嶺松寺跡

瀬戸神社神官の千葉氏に関連した建長寺末の寺院跡

泥牛庵

近世において藩主の見晴らし台として活用されたお寺

能仁寺跡

関東管領上杉氏の六浦支配の拠点となった禅宗寺院の跡

金龍禅院

近世では多くの観光客が訪れた名勝の地

円通寺・東照宮跡

金沢八景駅に隣接する寺跡に残る謎の地形

瀬戸神社

頼朝が三嶋大社から勧請した金沢・六浦の海の守り神

権現山・御伊勢山ハイキングコース

六浦・金沢の遺跡が集中する丘陵の散策路を紹介

白山寺跡

磨崖仏ややぐらが残された白山道の名称の由来ともなった寺院跡

白山道間道

旧態として今も残る六浦の新旧幹線道路を結ぶ尾根道

浄林寺跡

堂字が残された生々しい寺院跡の正体は?

野島

金沢八景の一つである野島では縄文時代の貝塚が発見されています。

和田山遺跡

瀬ヶ崎の和田山にあったと伝わるやぐら群と砦跡

能見堂跡

金沢を代表する史跡のひとつ、能見堂跡

金沢文庫~北鎌倉ハイキングコース

金沢文庫駅から北鎌倉駅までのハイキングを紹介。

金沢道

瀬戸神社から能見堂跡までの金沢道をめぐってきました。

白山道

旧六浦道ともいえる白山道をめぐってきました。

釜利谷伊丹地区

釜利谷伊丹氏の拠点めぐり。

金沢八景ポイント

歌川広重が描いた金沢八景ポイントを検証!

紅葉便り 六浦・金沢編

六浦・金沢方面の紅葉を見に行ってきたご報告です。

2015年11月 鎌倉遺構探索便り ~金沢編

六浦・金沢・釜利谷にて金沢八景ポイントや旧道をめぐってきました。