2013年9月29日日曜日

泥牛庵


山号寺号 吼月山泥牛庵
建立   鎌倉末期頃
開山   南山士雲
開基   -


山門

泥牛庵縁起


金沢区役所発刊『金沢の寺社』によると、泥牛庵(でいぎゅうあん)は円覚寺末で、円覚寺伝宗庵の南山士雲によって創建されたと云われています。室町時代後期に衰退・廃絶していゆく多くの鎌倉寺社同様、泥牛庵も衰微したようですが、承応二年(1656)に亡くなった習補玄道に復興されています。が、それも束の間、金沢藩陣屋が置かれるために移転を余儀なくされます。その後、文化二年(1805)に再び復興され現在に至るそうです。

本堂

正確な創建年月日が伝わっていないようですが、開山の南山士雲建武二年(1335)に亡くなっているので、なんと、かなりの高い確立で鎌倉期の創建かと思われます。そして能仁寺の塔頭とも云われてますが、これは『新編武蔵風土記稿』(以下風土記)の記述が元になっています。能仁寺は永徳二年(1382)頃の開創なので、風土記の説を信じると、塔頭である泥牛庵の方が先に建立されているというおかしな事になってしまいます。まぁどちらにしろ能仁寺末でも円覚寺末だとしても、同じ臨済宗という事で問題ないということにしておきましょう。

境内にあった石像 
私は確認していませんが、境内には能仁寺の住持と考えられる梅隠祐常の宝篋印塔があるそうです。

御茶山


金沢藩の陣屋が置かれていた時代、泥牛庵は御茶山と呼ばれた藩主の見晴らし台とされていたそうです。もしくは泥牛庵が御茶山の一画にあったのかもしれません。境内は本堂と墓地として整備された裏山部分しかありませんが、当時のお殿様が嗜んだとされる眺望が望めます・・が、現代ではそのお殿様が眺めた景色とは随分と違うのでしょう。現代ではわざわざ景色を眺めに来る場所ではないようです。当時は平潟湾が目の前を覆いつくしていたことでしょう。

御茶山からの遠謀
境内裏山の様子

泥牛庵の目の前を通る国道16号ですが、なんと、この泥牛庵裏山となる御茶山の丘陵から国道を挟んで向こう側にある金龍禅院の裏山丘陵が繋がっていたそうです。信じられないですね。

国道16号を渡る歩道橋から 画像左奥に金龍禅院が所在する



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カテゴリー 探索記事(エリア別 六浦・金沢
記事作成  2013年9月29日

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