2013年9月16日月曜日

等覚寺


山号寺号 休場山弥勒院等覚寺
建立   応永年間(1394~1428)
開山   秀恵僧都
開基   -


薬医門形式の山門

等覚寺縁起


等覚寺(とうがくじ)の山号を休場山(きゅうじょうさん)と云います。梶原景時がこの地を通った時、この付近で休んだ事に由来するそうです。しかしお寺自体の開創は応永年間(1394~1428)なので、正治ニ年(1200年)に亡くなっている梶原景時との直接の関連性は見当たりません。

境内

境内には洲崎から持ってきたと云われる五輪塔が多数並べられています。現在でも手厚く供養されているようでした。


丘陵部壁面にはやぐら跡のような浅く削られた造作がみられ、主に近世以降の石塔が並べられています。


同じ丘陵を背にする大慶寺東光寺同様にこちらでも階段遺構がみられます。


立ち入れない本堂裏の丘陵部にはやぐららしき横穴が遠目で確認できました。そのまま壁面に沿って行くとお隣の敷地に「梶原氏子中」と記された神社を小さくしたような建物がありました。この辺りの鎮守でしょうか。

梶原氏子中

等覚寺は一目で境内が見渡せる程の小さなお寺ですが、『かまくら子ども風土記』(以下風土記)に境内に近接する小学校の前身が建てられていたとあったので、往時の敷地はかなり広かったようです。もしくは等覚寺は近現代で移転したのかもしれません。とにかくその小学校裏には横穴墓が残されています。

小学校裏の丘陵部 横穴墓が並ぶ
横穴墓内部

そして何とこの丘陵部を登ることが出来る切通し路が施されています。


丘陵頂部は墓地として活用されています。さらにその奥は旧態そのものとして緑地帯となっており、確かに等覚寺の敷地である事が記されていました。


ちょっと行ってよいのか微妙ですが、その奥を少しだけ見学させてもらうことに。なんといきなりひな壇状地形が待ち構えています。しかもちょっと複雑です。


等覚寺なのかそれとも他の何かなのか分かりませんが、小学校位置に往時ではお寺か邸などがあったと思われます。ですからこの丘陵頂部の造作はその小学校位置にあった何かしらの建物に付随する造作だと思われます。
丘陵頂部からは広大な工場敷地や住宅が見えるだけですが、往時では洲崎の古戦場が見渡せます。

丘陵頂部からの景色 

等覚寺が所在する丘陵部にある大慶寺や東光寺もそうですが、伝わってない歴史が色々あるようです。休場山という梶原景時に関する伝承が残されている事からも、もしかしたらお寺の開創以前から何かあったのかもしれませんね。



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記事作成  2013年9月16日

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