2013年9月4日水曜日

常盤地区


常盤地区概要


地図画像は常盤地区です。地元に伝承された字名や史跡などを番号にて表記しました。鎌倉市教育委員会の『大仏切通周辺詳細分布調査報告書』(以下調査報告書)と『かまくら子ども風土記』(以下子ども風土記)を参照しています。

Google Map 常盤
①桔梗山②一向堂③御所ノ内(政村邸跡)④法華堂跡⑤峰山⑥義政邸跡⑦殿入下⑧円久寺・八雲神社⑨殿入⑩大丸

常盤は北条政村や北条義政などの別業があったことで知られています。政村の常盤亭では、将軍や公家などが招かれ歌会が開かれていた様子が『吾妻鏡』に記されています。時の権力者達ののサロンとして機能していたもようです。
特筆すべきは「御所ノ内」「殿入」といったいかにも北条氏に関連すると思われる字名が残されている点でしょうか。地図画像③の「御所ノ内」が政村邸跡、そして画像⑥が調査報告書によるところの義政邸跡、画像⑨の「殿入」という字名が残された場所が子ども風土記によるところの義政邸跡とされています。『吾妻鏡』には「常葉亭」「常葉御所」「常葉山荘」「常葉別業」などの記述がみられます。

御所ノ内に残されている平場 政村邸跡の一画と推測される
殿入 円久寺背後の広大な平場 

地図画像⑥の義政邸跡丘陵奥には竪堀状の堀切が、⑦⑧の殿入・殿入下ではひな壇状地形にやぐらや虎口状入口などの地形が残されています。時の権力者達のサロンというイメージとは異なる地形がみられます。

常盤別業の軍事的側面


そしてこちらが少しズームアウトした常盤地区広域地図画像です。往時では政村邸・義政邸から地図画像⑪の東坂と⑫の仲ノ坂を通って大仏坂(地図画像⑬)に向かう事が出来ます。したがって、常盤の別業は軍事的な観点からは大仏坂に関連したものとも考えられますが、常盤の背面となる北側に東西に通る化粧坂から連なる道(地図画像⑭)に干渉する事も容易です。また⑮のS字状堀切道は、大仏裏ハイキングコースの序盤に現れる大々的な人為的地形です。ここにもまた御所ノ内から尾根道を伝って行けてしまいます。つまり佐助や源氏山に移動する事も容易です。

Google Map 常盤
⑪東坂 ⑫仲ノ坂 ⑬大仏坂(深沢通り) ⑭化粧坂から連なる道 ⑮S字状堀切道

常盤の地がこれだけの交通の要衝である事からも、常盤別業が有事の際に鎌倉の重要な軍事拠点の一つを担っていたのは確かだと思われます。
また、坂のある画像⑪⑫の丘陵部では「腰巻曲輪」という城郭が残されていたそうですが、こちらも坂同様に宅地開発で失われています。名称から想像するに、山腹に腰巻のように帯状の平場が造成されていた、もしくは山腹に腰巻状にいくつもの平場が連なっていたのかもしれません。


もうひとつの北条氏別業?


地図画像⑧の円久寺・八雲神社から深沢通り沿いに出て地図画像⑩の大丸方面に進むと、丘陵壁面にやぐらが残されています。またこの辺りに「常盤御前の硯水」と呼ばれる井戸があったそうです。 常盤御前は源義朝の妻で義経の母です。平治の乱の後、平清盛の妾になったと云われています。そんな京の都の美女が鎌倉にいたはずもないので、単純に常盤という地名から連想された後世の人達の勘違いのようです。
ただ、水質が良いので政村が歌会で使用したと云われています。やぐらに井戸と、これまた寺社もしくは武家邸跡の雰囲気を醸し出している場所です。また付近には武士の信仰を集めた御嶽神社があったそうです。

仏行寺裏山から眺めた大丸

この大仏坂から連なる深沢通りに面した常盤丘陵の西側側面が最も北条氏の別業として相応しいと思いましたが、この辺りは巨大なマンション群が建設され地形から何もかも跡形もありません。今更調べようがないのかもしれません。
またこの大丸と呼ばれるエリア。この大丸という名称から何となく砦跡を連想してしまうのは私だけでしょうか。仏行寺の裏山頂部や一升枡の笛田側などなど色々な場所からこのマンションが見えます。裏を返せば、このマンションがある大丸位置から多方面に遠景が眺められることでしょう。

鬼門の方角あったもの


『鎌倉廃寺事典』に「常葉寺」「常葉地蔵院」「常葉□慈院」(□は不明)など、常盤の何処かに所在していたであろう寺院が記されています。下画像は常盤地区のクローズアップ画像です。地図画像④は法華堂跡と地元に伝承が残されている箇所です。そして調査報告書によるところの義政邸跡⑥とこの法華堂跡④の関係に注目してください。

Google Map 常盤地区
③政村邸跡 ④法華堂跡 ⑥義政邸跡 ⑦殿入下

鎌倉の「あるある」として、寺社、武家邸の鬼門となる方角に神社などを鎮守として配置することがよくみられます。ですからこの義政邸⑥の住人は、政村なのか義政なのかそれとも他の誰かの法華堂なのか分かりませんが、とにかくこの先祖を祀るお堂を邸の鬼門の方角に鎮守として配置したのではないかと考えられます。
このパターンを他のエリアに当てはめると、面白い事に邸跡と思われる箇所の鬼門の方角に必ずやぐらが施された箇所が存在します。(画像内の赤い□)
地図画像③の政村邸跡とされる一画にある小谷戸の鬼門の方角にあるのがタチンダイの奥にある一大やぐら群で、殿入下⑦の鬼門の方角にもやぐらが施されています。この事からもこれらの位置に上記した寺院が所在していたと考えられるのではないでしょうか。

タチンダイ奥にあるやぐら群

常葉


「常盤」とは永久に変わらないという意が込められています。また『吾妻鏡』では常盤を「常葉」と記しています。この「常葉」という文字からは常緑の地が連想されます。実際にこの常葉に何度も訪れましたが、自然が残された箇所も多く、緑がキレイでした。このまま永久に常緑の地であってほしいと願わずにはいられません。




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探索期間 2011年8月~2013年5月
記事作成 2013年9月4日

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