2013年8月3日土曜日

住吉城跡 ~旧道編


庚申塔が示す旧道


下地図画像は住吉城跡で、青と赤のラインは道を示します。青は現在でも通行可能ですが、赤は通行できません。また、画像①の和賀江嶋から②の正覚寺辺りが飯島、④の海前寺辺りから奥が小坪となります。

①和賀江嶋跡 ②住吉城跡 ③げんじがやと ④海前寺 ⑤神明宮 ⑥小坪寺 ⑦ぼんばたけ跡

地図画像②の正覚寺や④の海前寺付近ではコンクリート舗装されていますが、庚申塔などの石塔が置かれていました。どうやら少なくともこの道は近世(江戸期)から存在していたようです。

地図②正覚寺と③げんじがやとの間にあった庚申塔などの石塔群
白の点々が旧道で庚申塔が置かれている場所
地上から見た旧道 矢印部分

『鎌倉市史 考古編』では「小坪と飯島を結ぶ崖の中段を通る切開いた路」が「「江戸時代からの道であると知られる」とありましたが、この道の事を述べていると思われます。現在の地形からすると、わざわざそんな所に道があったのかと思ってしまうかもしれませんが、上画像の右に写っている逗子マリーナという建物群は埋立地の上に建っています。地図画像④の海前寺というお寺の名前からも、近世まではこの道のすぐ近くまで海が迫っていたようです。

海前寺前の道 なんとこの狭い道が旧道

小坪坂との関連性


そして下画像は住吉城跡の小坪寺社が建ち並ぶ辺りをクローズアップしたものです。何とこの丘陵を横断する山越えの道がありました。

①134号線 ②ぼんばたけ ③神明宮

海前寺・神明宮・小坪寺の各社は現在の通りからすると、奥まった高い場所に所在しています。これは上述したとおり、この辺りの地形の大幅な開発によるものです。

神明宮へ登る階段

神明宮境内にこんな看板がありました。宅地開発される以前では猿がこの辺りにいたということなんでしょうね。信じられないですね。


神明宮からは画像②のぼんばたけと呼ばれる住吉城主郭部に登って行けます。もしかしたらこれはこの丘陵にひな壇状に造成されたいくつもの平場を結ぶ連絡路として住吉城時代からあったものかもしれません。ですから神明宮平場は住吉城の一機能だったのではないでしょうか。

神明宮からぼんばたけへ通じる道
丘陵頂部 ぼんばたけ位置から眺めた小坪の海

現在このぼんばたけと呼ばれる地にはマンションが建っています。地図画像でも確認できるかと思いますが、ぼんばたけを通り過ぎると134号線にぶつかります。更に134号線を渡るための歩道橋が設置されていました。

ぼんばたけから海とは反対側を眺めた地点
ぼんばたけから繋がる歩道橋から見た134号線 左側がぼんばたけ住吉城跡丘陵


下地図画像は逗子市の住居表示案内板です。小坪坂に訪れていた際、スマホの充電が残りわずかであったためグーグルマップを閲覧することが出来ず困っていたところに現地で見つけたものです。赤のラインで小坪坂を表し、また周辺の史跡も番号にて表記してみました。

逗子市住居表示地図 ①光明寺 ②地蔵堂 ③ぼんばたけ ④神明宮 ⑤小坪寺 ⑥海前寺 ⑦正覚寺 ⑧和賀江嶋

この簡素化された地図を見て気付いたのが、なんと今通ってきた神明宮(上地図画像の④)からぼんばたけ(画像⑤)に登り歩道橋にいたる道が表示されています。しかもそればかりでなく、この道が小坪坂へ一直線に連なっているではありませんか。(地図画像の青のライン)神明宮から丘陵を越えるこの道は地元の方しか知らないような秘密の道かと思いましたがそうでもないようです。とにかく何はともあれ、興味深いのは今通ってきた神明宮からの丘陵越えの道が小坪坂まで連なっているという点でしょうか。

134号線の上に設置された歩道橋

『鎌倉市史 考古編』には住吉城は小坪坂を押さえるための城郭だと記されてありました。極楽寺地区にある五合枡(仏法寺跡)が極楽寺坂に対する防衛施設であったように、ここ住吉城は小坪坂に対する防衛施設であったようです。住吉城築城以前からこの地には城郭機能があったと考えられていることから、少なくとも当初は小坪坂を押さえるための要害の地であったのは確かなのでしょう。そこで思いましたが、この神明宮から丘陵を越え小坪坂に達する道筋とは遥か昔からあったのではないでしょうか。134号線を渡るための歩道橋も偶然ここに作られたのではなく、以前からそこが通り道だったからではないでしょうか。機能的に考えても、ぼんばたけという城の主郭部と当時の重要な幹線道路が繋がるのは必然でしょうか。この134号線が開通する以前はこの辺りはどのような地形をしていたのでしょう。近辺のご老人を片っ端からあたってもそれを知る人に出会える可能性は多分皆無であるように思えます。


また、住吉城跡丘陵の山越えの道は、正覚寺前にもあります。いつからある道なのかは分かりませんが、扇山との関連性がみられるため、少なくとも住吉城時代からあったものではないかと思われます。画像でも伝わるかと思いますが、この道の「グルッ」とした形状感が元々あった山道をそのままにしているようにも思えました。


こちらの道は下りながら海が見えるという映画のワンシーンで見たことのあるような景色でした。


より大きな地図で 小坪・飯島 を表示

探索期間 2012年8月~2013年5月
記事作成 2013年8月3日

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