2013年8月2日金曜日

住吉城跡 小坪寺社編


下地図画像は住吉城跡小坪側丘陵部です。頂部の平場である画像①の「ぼんばたけ」からひな壇状に土地が造成され、そこには②海前寺③神明宮④小坪寺と、寺社や民家が建ち並んでいます。

①ぼんばたけ ②海前寺 ③神明宮 ④小坪寺

住吉城跡の主郭部分と考えられる画像①の辺りは「ぼんばたけ」と呼ばれています。廃城後、畑として利用されていましたが、季節を問わずお盆の時期かとツッコミたくなるほど霊の目撃情報が多いため「盆畑」と呼ばれるようになりました。・・と勝手に推測してみましたが、どうやら「馬場」から転訛したのではないかという説が有力であるようです。山城の主郭部分なので、軍隊の駐留場であったのでしょう。馬場から転訛したという説でほぼ決まりだと思われます。間違っても盆畑ではなさそうです。そういえば十二所にも「馬場」の字名と共に「ばんばがやつ」と呼ばれる土地があります。なんとなく似てますね。

大崎公園から眺めた住吉城跡ぼんばたけ 現在はマンションが建っている 

地図画像でもこの上の画像でも確認できるかと思いますが、ぼんばたけの一段下にまた平場があります。マンション建物も二段になっています。そしてそのまた一段下に神明宮やひな壇状になった小坪寺境内の最上階に平場が存在します。こういった具合に地上部まで降りて数えると5段から6段のひな壇状地形となります。どこまでが住吉城跡の造作なのかは分かりませんが、少なくとも神明宮(上地図画像③)の辺りまでは城郭機能の一部だったと思われます。


海前寺


海前寺は寺縁起によると、永和二年(1376)頃の創建とありました。一遍でおなじみの時宗だそうです。一遍が北条時宗に鎌倉入りを拒絶されたシーンが絵となっていて有名ですが、十二所の光触寺や北鎌倉の光照寺にそしてここ小坪と、主な時宗各社の所在地をみると、ほぼ鎌倉の外郭周縁部に所在しています。時宗が最後まで本当に鎌倉中心部には入れてもらえなかったことが伝わってきます。

海前寺

下画像の海の手前に見える逗子マリーナという建物群は埋立地の上に建設されています。海前寺という名前からも当時は海が目の前だったのでしょう。

海前寺から眺めた風景

海前寺も本堂のある土地より一段高い場所があります。辺りは崩落防止のためのコンクリート舗装がされていますが、丘陵の形状をそのまま固めたように思えます。


住吉城をめぐる争乱の名残りでしょうか。五輪塔や宝篋印塔などの石塔に、首塚と記された供養塔のようなものまでが置かれていました。ちなみに画像奥にある首塚という石塔が置かれた丘陵部が窪んでますが、やぐらをコンクリートで固めた跡でしょうか。



神明宮


神明宮は、この丘陵にある海前寺・小坪寺より更に高い位置に所在しています。ここからぼんばたけに向かう道が残されています。不思議なのは、この境内の狭さに対して石祠の数が多すぎるようにも思えます。


境内裏にいくつか横穴がみられます。あまり見たことのない形状です。これら境内に置かれている石祠が元々設置されていたとも思えますが、ご丁寧に穴が塞がれています。ちょっと判断に迷います。やぐら、もしくは祠状遺構、それとも他の何かか、微妙な感じです。



小坪寺


小坪寺は文明五年(1473)に創建された光明寺末寺の報身院と、香蔵寺を合併したものであるそうです。ここには近世の墓塔が多く境内に置かれています。

小坪寺
境内に置かれている近世の墓塔

興味深いことに境内が3フロアで構成されるひな壇状地形となっています。最上階部では丘陵に石塔が地中に埋まっていたりします。地形は2つのお寺が合併したという複雑な事情を表すのか、もしくは住吉城跡の名残りでしょうか。

コンクリート舗装されていますが当時からの裏山への道筋でしょうか
小坪寺から眺めた風景 海前寺の画像より標高が高いのが伝わるでしょうか
裏山丘陵部 確実に何かの造作跡が感じられる

神明宮から地上に下りてきた辺りです。奥にげんじがやとの垂直に削られた丘陵が見えます。遠目からでも結構目を惹く造作でした。いつからあんな形状になっていたのでしょうね。





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探索期間 2012年8月~2013年5月
記事作成 2013年8月2日

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