2013年8月11日日曜日

浄妙寺旧境内


浄妙寺旧境内絵図


浄妙寺の記事その②です。絵図は江戸期に作成された浄妙寺境内絵図です。往時には23の塔頭・支院・末寺がありました。絵図は往時を偲んで描かれたようです。浄妙寺が五山に列したのが延文三年(1358)頃なので、その当時の伽藍構成でしょうか。

「1」惣門 「2」山門 「3」方丈 「4」開山堂・大旦那霊廟 「5」延福寺跡 「6」大休寺跡 「7」熊野神社 「8」鎌足稲荷神社

絵図を見る限り、惣門(絵図「1」)の前に滑川が流れていて橋を渡って六浦道に出るようです。現在の浄妙寺から見た川と道の位置関係が異なります。また絵図は現在の浄明寺3丁目を中心とした広大なエリア全体が浄妙寺として描かれています。下画像でも分かるように、現在は住宅が建ち並んでいますが、往時はこの範囲全てが浄妙寺だったようです。鎌倉公方の菩提寺なのでこれくらい広くて当然でしょうか。


杉本城跡から眺めた浄明寺3丁目 絵図でいう左側部分からの景観

絵図「1」の総門には、立派そうなな石垣というか石堤のようなものが構築されていて、「稲荷山」と額が掛けられています。総門を入ると般若池と書かれた龍池に、「浄妙禅寺」の額がみえる中門、そして山門に仏殿、法堂が一直線に並んでいます。その後ろにある方丈が現在の本堂で、開山塔と大檀那霊廟、つまり足利氏墓所が谷戸の最奥に配されていたことが絵図から分かります。

六浦道(204号線)沿いにある浄妙寺谷戸の入口 奥に見える丘陵は熊野山

発掘調査の結果


絵図には境内を取り囲むように塔頭がたくさん建ち並んでいます。また鎌倉府に隣接することからも、足利氏やそれに関係する一族・朗従なども邸を構えていたと考えられます。鎌倉市教育委員会の調査報告書によれば、ここ浄妙寺近辺で発掘調査が何度か行われており、13世紀から15世紀にかけた掘立柱建物・井戸・堀・溝などの遺構が検出されています。「武家屋敷跡を想起させる」とありました。

本寂堂

鎌足稲荷神社


浄妙寺の寺伝によれば、鎌倉の地名の由来ともなった藤原鎌足が鎌を埋めた場所とされるのが、ここ稲荷社(絵図「8」)のある稲荷山だそうです。絵図にも稲荷社の辺りに「鎌埋地」と記されているので、少なくとも江戸期からそう認識されていたようです。

鎌足稲荷神社

また、絵図には稲荷社の下に「白狐窟」と書かれている箇所があります。ちょうど稲荷社の下に以前は信仰の対象だったかのようなサイズの小さい参詣路とやぐら跡らしき窟穴がありました。更に稲荷社境内の奥にもやぐらがあるので、とにかくこちらも歴史が古そうです。

鎌足稲荷社境内にあるやぐら 五輪塔などの石塔が置かれている


足利上総前司の屋形


『吾妻鏡』の弘長元年(1261)に大倉稲荷なる社が登場します。これが何処の稲荷神社なのか現在でもはっきりとわかっていません。『平安京宮城図』という資料に「大蔵稲荷下足利上総前司屋形」という記述があるそうです。つまり足利上総前司の邸が大蔵稲荷の下にあるということです。『鎌倉廃寺事典』では「足利上総前司の屋形の場所がわかれば問題ない」(大倉稲荷の場所が分かる)と記す一方で、鎌倉府と隣接するこの辺りの土地柄上、足利氏関連の人物がこの辺りに邸を構えていたとしても不思議ではないといった旨を記しています。

稲荷社下の辺り ここが足利上総前司邸跡か?

霊芝庵跡


塔頭の一つに霊芝庵という記述があります。絵図にはちょうど前述した「足利上総前司の屋形跡」辺りと思われる箇所に「霊芝」と記されていました。お寺自体が霊を弔う場所でもあるため、おかしくはありませんが、それでもなかなか霊という字を建物名に使うケースは少ないと思います。
そこで念のため「霊芝」をネットで検索したところ、何と中国において後漢時代から重宝されているキノコの一種だということがわかりました。更に、この霊芝は栽培が難しいため古代中国では皇帝に献上することを義務付けられていたほどの希少価値の高いキノコで、食用には適さないため漢方薬として使用されていたようです。浄妙寺の霊芝がこのキノコの霊芝を意味しているのかはっきりとわかりませんが、まさかのキノコの栽培地であったらちょっと面白いですね。

足利上総前司邸跡にあった井戸

熊野山大休寺


浄妙寺の西側丘陵部奥から山を登るように階段を上がると熊野神社があります。絵図にも記されている大休寺(境内絵図「6」)の山号は熊野山なので、こちらの熊野社を鎮守としていたようです。

熊野神社参詣路 

大休寺は足利直義の創建で、開山は覚智禅師月山希一。直義は大休寺殿と呼ばれていたので、元々は直義の持仏堂だったのかもしれません。実際にもこの辺りは足利直義の邸跡とも云われています。

熊野神社

足利直義は尊氏の弟で、誰もが見た事のある教科書にも載せられているあの伝源頼朝像は、実はこの直義だったという説は近年ではかなり有力です。直義は政治家として優れていたことが伝えられています。あの絵からも確かに知的かつ威厳を兼ね備えた人物像が伝わってきます。

熊野神社下 足利直義邸跡か?

そういえば、瑞泉寺の夢窓疎石が足利直義を「武衛」と呼んでいました。同じく武衛を唐名としていた頼朝ですが、もしかしたら後世の誰かがここら辺で勘違いしたのではないでしょうか。


十六夜谷


絵図には、熊野神社の背後辺りに「十六夜谷」と記されています。これはまさか阿仏尼の『十六谷夜日記』のことでしょうか。阿仏尼は、その日記にも「月影ヶ谷という浦近き山もとにて・・山寺のかたわら」に住んだとちゃんと記してあることから、極楽寺地区にいたのは明白です。いくら江戸時代とはいえ、忍性の極楽寺と浄妙寺の極楽寺を間違う訳はないと思います。浄妙寺が昔は極楽寺と呼ばれていたことにちなんだシャレでつけた字名なのかもしれません。ついでに「極楽登下」という記載までみられます。

境内のどこかでいつも寝ている浄明寺の猫


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カテゴリー 探索記事(エリア別 浄明寺
記事作成  2013年8月11日

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