2013年8月10日土曜日

浄妙寺


山号寺号 稲荷山浄妙寺
建立   文治四年(1188)
開山   退耕行勇
開基   足利義兼


喜泉庵

浄妙寺縁起


文治四年(1188)にこの地に建立された極楽寺を前身とします。開基を足利義兼、開山を退耕行勇(たいこうぎょうゆう)と伝えられています。創建時は密教系寺院でしたが、建長寺開山の蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)の法嗣(弟子のようなもの)月峯了然(げっぽうりょうねん)が正嘉元年(1257)に住持してからから正応元年(1288)までの間に、足利尊氏の父である貞氏の法名(浄妙寺殿貞山盛観)に因み、寺名を浄妙寺と改められたようです。足利氏の菩提寺として、南北朝期に最盛期を迎え、鎌倉五山第五位に列せられています。

方丈

往時の浄妙寺


往時は23の塔頭・支院が境内にありました。足利氏の菩提寺ということもあって、特に室町期に最盛期を迎えます。しかし、鎌倉府が消滅した康正元年(1455)以降、足利氏の庇護を失ったため、浄妙寺は衰退の一途を辿ります。また、鎌倉府に隣接した土地柄であることからも、動乱の南北朝期にあって、戦火による度重なる被災も衰退へと傾いていった要因の一つと考えられています。境内は白い石が敷き詰められているので、一面枯山水庭園のようです。


足利氏霊廟跡


方丈奥にある開山堂を通り過ぎると、浄妙寺の近現代の墓地となっています。境内絵図には谷戸最奥に開山塔と大檀那霊廟が描かれているのでこの辺りでしょうか。その一画に、足利貞氏の墓と云われる明徳三年(1392)銘の宝篋印塔があります。墓地はひな壇状に整備されていて谷戸の最奥に至ります。

足利貞氏墓
境内奥から眺めた景色

墓地ではやぐらなのか分かりませんが、横穴に無縁仏となった中世の石塔が置かれていました。


当時の裏山を墓地として完全に近現代風に開発されてしまってますが、所々旧態を残す丘陵部壁面に、やぐら跡のような造作がみられました。墓地拡張で破壊されたのかもしれません。


延福寺跡


浄妙寺境内から階段を登り、コンクリート舗装された裏山部分にちょっとした遊歩道とレストランがあります。


『鎌倉廃寺事典』によると、浄妙寺西北隣に延福寺というお寺があったと記されているので、この辺りかと思われます。周辺は完全に土地開発されていますが、この延福寺跡の平場を基礎としているのかもしれません。

奥の建物がレストラン

延福寺は、浄妙寺開基の貞氏の室で契忍禅尼が早世した息子の高義のために建立したお寺です。したがって高義は足利尊氏の兄となります。元亨三年(1323)の『北条貞時十三年忌供養記』に「円福寺」の記述がみられることから鎌倉期から存在したものと思われます。また、一画には結構大きめな五輪塔が置かれていました。足利氏の菩提寺だけに、もしかしたらそこそこ名の知れた人の墓塔なのかもしれません。


その他に浄妙寺境内からも近くに鎌足稲荷神社や熊野神社などがあります。また、石碑ぐらいしか残されていませんが、お隣は鎌倉府旧蹟です。寺縁起にもあったとおり、文治四年(1188)から浄妙寺の前身となる足利義兼の持仏堂があったことからも、浄妙寺近辺は鎌倉時代から足利氏の邸跡であったようです。


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カテゴリー 探索記事(エリア別 浄明寺
記事作成  2013年8月10日

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