2013年7月9日火曜日

鎌倉の地理地形


鎌倉への進入路


要害の地と云われる鎌倉は、三方を山に囲まれ、一方を海に面しています。 天守閣に石垣といった現代人の我々が思い浮かべる城という概念がない時代、こうした天然の要害を当時では城郭としていました。この山稜に囲まれた鎌倉へ入るには、丘陵部を掘削し掘割状とした切通しという当時の交通路が使われています。 俗に鎌倉七口と云われる切通し路が当時の主な鎌倉旧市街地中心部への出入口と考えられています。ちなみに鎌倉七口とは、巨福呂坂、亀ヶ谷坂、化粧坂、大仏坂極楽寺坂名越坂朝比奈峠坂を指します。また、その他に頼朝が鎌倉入りする以前からあった古東海道の道筋とも云われる稲村ヶ崎海岸道と小坪坂などがありました。

拝借させてもらった航空地図に番号と字名を加えました
①巨福呂坂 ②亀ヶ谷坂 ③化粧坂 ④大仏坂 ⑤極楽寺坂 ⑥名越坂 ⑦朝比奈峠坂

その切通し七口の中でも最も旧態を残すのが大仏坂で、実際に歩いてみると、道幅が狭く粗く削られた壁面と岩が露出した底面に、物資を搬入するにも苦労したであろうと思わずにはいられませんでした。もう少し交通の便宜を図れなかったのかと、現代人であれば誰もが思うところでしょうが、有事の際にこれら切通し路を封鎖するため、当時から道幅はそれ程広くはなかったそうで、更に底面に露出した岩は敵の侵入を妨げる目的でもあったようです。当時の情勢次第で切通し路の形状は変化していたと思われます。また、地図画像にも記した山内道六浦道が当時の特に重要な幹線道路だったようです。

大仏坂

若宮大路は子午線だった?


『吾妻鏡』に記された複数の記事において、陰陽師の指す方角があまりにも大雑把であったため『鎌倉廃寺事典』では、いくら中世の陰陽師とはいえ、多少の誤差どころではないと指摘していました。そこで同書では、若宮大路を子午線として考えたところ、陰陽師の言う方位にほとんど誤差がなくなるという発見をしています。つまり、中世鎌倉の陰陽師は、この東に27度ずれている若宮大路を子午線として活用し、方角を測っていたようです。陰陽師はわざと若宮大路の南北の傾きに方位を合わせていたのでしょうか、それとも若宮大路が正確に南北を表すものだと本気で思っていたのでしょうか。廃寺事典では「中世の陰陽師などこの程度」と言及していたので、後者かもしれません。以前には映画などで奇術・魔術を駆使する魔法使いのように描かれた陰陽師ですが、やはり現実はこんなものでしょうか。

鷲峰山十王岩から見た若宮大路 鎌倉の中央を貫く現在のメインストリート

谷戸


山稜に囲まれた鎌倉では、都市部にまで丘陵が入り込むため、丘陵との谷間に平地を造成し土地活用を行っています。これを谷戸と呼びます。


丘陵部山腹を平地に削平するので、それぞれの平地で段差が生じます。鎌倉のいたる所で、平地が階段状に連なるこのひな壇状地形がみられますが、こうした中世の人達の宅地造成によるものが基礎となっています。ですからある意味、ひな壇状地形そのものが鎌倉の遺跡ともいえるのでしょう。 また、こちらは鎌倉の地形による理由だけではないと思いますが、寺院や軍事施設跡(城郭遺構)にもひな壇状地形がよくみられます。

大宝寺 段差のある平場が連なっているのが分かるでしょうか 番号は階数を表します

鎌倉に限らず中世日本における都市造りが北に山、南に海を配するといった四神相応原理が用いられています。松尾剛次著『中世都市鎌倉の風景』では、鎌倉という都市が、ひな壇の頂点に位置する八幡宮、その下の御所といった中核的立場から遠ざかるにしたがって、身分の低い人々の生活する場が展開していたと述べ、こうした構造をひな壇型都市と規定していました。つまり、鎌倉自体が壮大なひな壇都市であったとも云えるようですね。

Google Map 扇ガ谷
①泉ヶ谷②藤ヶ谷③勝縁寺ヶ谷④法泉寺ヶ谷⑤清涼寺ヶ谷
⑥会下ヶ谷⑦梅ヶ谷⑧山王堂ヶ谷⑨御前ヶ谷⑩智岸寺ヶ谷

上地図画像は現在「扇ガ谷」と住居表示されているエリアです。ご覧のように扇のような形をしていることからその名の由来になったとも云われています。番号で記したように、当時ではこれら丘陵の谷間全てに谷戸名が付けられていました。また、例えば①の泉ヶ谷の中には更に多宝寺ヶ谷や清水寺ヶ谷などの支谷が存在します。分かりやすくいうと、親谷戸が泉ヶ谷で、その子谷戸が多宝寺ヶ谷に清水寺ヶ谷ということになります。そして「谷」を全て「やつ」と読みます。①泉ヶ谷(いずみがやつ)②藤ヶ谷(ふじがやつ)・・といった具合です。このようにこうした字名が鎌倉中の谷戸に残されています。

私はほぼそれらを記憶しましたが、あまりにも鎌倉に傾倒しすぎたためか、ホームグラウンドである東京の生活の場で、雪谷大塚(ゆきがやつおおつか)渋谷(しぶがやつ)市谷(いちがやつ)などなど谷を「やつ」と心の中で読まずにはいられない体質となってしまいました。


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