2013年7月30日火曜日

小坪坂


小坪坂はその名の通り、鎌倉から丘陵を越え小坪・逗子方面に向かう道です。鎌倉七口に含まれてはいませんが、『鎌倉市史 考古編』(以下市史)には「古東海道である」と記してあります。現在は宅地開発によって跡形もありませんが、どうやら鎌倉幕府が開かれる以前から存在していた道であるようです。

現地にあった逗子市住居表示地図 赤線が小坪坂 
①光明寺 ②地蔵堂 ③小坪寺 ④神明宮 ⑤ぼんばたけ ⑥海前寺 ⑦正覚寺 ⑧和賀江嶋

市史の記述では「光明寺背後の谷から山を越して小坪のうばがやとに出て、現在のバス道路の東側を地蔵堂付近に出るもの」と小坪坂を説明していました。上地図画像の赤のラインがその市史記述から確認した道筋です。地図は現地にあったものであるため、南北が逆になっています。また周辺の主な史跡を付け加えてみました。

光明寺裏山にある中学校の脇道を登って行きます。頂部に出るとハイランドのような住宅街が広がっています。そして肝心の小坪坂入口はと・・ 地図や著書記述で確認した限りここで間違いないようです。


住宅の先を行くと景色が開けます。道はコンクリート舗装されていますが、確かに現代で整備されたとは思えない急な坂道が続いています。

ちなみにこの辺りを「うばがやと」と云うそうです。

いかにも山道をそのままコンクリートで固めたような感じです。

坂道も終わり地上の住宅街の間を進みます。

134号線とその下にあるバス通りにぶつかります。

途中、稲荷社か何かの名残りでしょうか、道沿いの民家前にありました。

市史の記述通り、その先に地蔵堂があって、ここからまた逗子駅の方に向かう道が続いています。近くに庚申塔があったので、地蔵堂前のバス通りも江戸期からあった道のようです。
地蔵堂
子育地蔵 普通の民家のような建物の中に祀られていました

以上が市史の記述にあった小坪坂です。何も知らなければただの坂道でしたが、所々に山越えの道としての名残りがみられました。


小坪坂と小坪合戦


さて、小坪坂といえば有名なのが『源平盛衰記』(以下盛衰記)に出てくる小坪合戦の記述です。私自身原文を読んだことがないのですが、市史や奥富敬之先生の著書記述などから大体の概要を以下にまとめてみました。
治承四年(1180)石橋山合戦への合流が遅れた三浦一族が、頼朝敗戦の知らせを受け帰路の途中、同じく石橋山合戦に平家方として参戦していた畠山重忠の軍勢と近接します。この時、三浦一族の和田義盛が畠山の軍勢と一戦を交えますが、義盛は現在の杉本寺の地にいた弟の義茂に援軍を求めます。しかし戦いは程なくして和睦となります。
しかし、急ぎ駆けつけた義茂は和睦となったことを知らず、畠山の軍勢に襲いかかります。この時、義盛以下三浦一族は援軍に駆けつけた義茂に遠くから手を差し招いて義茂を呼び戻そうとしますが、義茂はこれを激励されたと勘違いし畠山勢に切り込みます。
不意をつかれた畠山軍は猛反撃に出ますが、今度は援軍に駆けつけた義茂を助けようと和睦したはずの和田義盛ら三浦一族がこれに参戦します。そして不利になった畠山勢はやむなく退却することになったというのが小坪合戦とも云われる一連の出来事です。

ちなみに私はてっきり小坪の海岸辺りでこの両者の衝突があったと勘違いしていました。市史には「由比ヶ浜合戦」と記されており、また「畠山重忠は稲村ヶ崎から鎌倉外に退却した」などと奥富先生の著書には記されていたので、この小坪合戦は由比ヶ浜が舞台であったようです。ですから和田義茂が小坪坂を下りて畠山勢に切り込んだのは光明寺側の道を下りたのでしょう。光明寺側の道といえば、まさか境内の真裏にあるものとは思えないので、こちらも裏山からバス通りにぶつかるこの道(下画像)のことでしょうか。それとももしかしたら現存しないのでしょうか。

光明寺裏山からバス通りに向かう道

この道から眺めた景色です。ちょっと住宅などが邪魔ですが確かに由比ヶ浜を確認できます。畠山勢がここからも見える現在の由比ヶ浜もしくは134号線辺りを行軍していたようです。


市史によると、古代の道は稲村ヶ崎海岸道から由比ヶ浜を経て光明寺背後の谷を登って小坪に出ていたとあり、更に葉山方面に向かい海を渡って上総の富津へ通じていたこのルートを古東海道であったと記してあります。確かに盛衰記の記述からも、頼朝が鎌倉入りする以前に畠山重忠が鎌倉の海岸線を行軍しているので、現在の134号線辺りが少なくとも鎌倉時代以前から道であったのは確かなようです。



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探索期間 2012年8月~2013年5月
記事作成 2013年7月

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