2013年7月3日水曜日

明月院


山号寺号 福源山明月院
建立   康暦二年(1380)
開山   密室守厳
開基   上杉憲方



明月院縁起


明月院(めいげついん)は、明月庵という元々この地にあった禅興寺(ぜんこうじ)の塔頭でした。明月院の本寺であった禅興寺は、文永五年・六年(1268 1269)頃の創建と推定され、開基が北条時宗、開山は蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)と云われています。往時では鎌倉五山の規模に次ぐ大寺院であったとされ、鎌倉幕府滅亡後、徐々に衰退していったこの禅興寺を再興させるために、鎌倉公方足利氏満上杉憲方(うえすぎのりかた)に命じ、寺院拡大を成します。この時、明月庵は明月院となり禅興寺支院の首位におかれ、禅興寺の寺勢を保ちます。永世六年(1509)古河公方・足利政氏が寺領寛補について述べた書状から、この時にまた再興されたと考えられているので、禅興寺はまたまたこの時に衰退していたようです。貞享年間(1684~1687)では明月院に付属したような形となり、明治初年に廃寺となりその長い歴史の幕を閉じます。

この禅興寺と明月院の歴史は、本寺と塔頭の関係が逆転するという珍しいケースで、現代風に例えると、本社(禅興寺)が子会社(明月院)に吸収されるような感じでしょうか。


最明寺旧蹟


明月院・禅興寺が建立される以前、明月谷(めいげつがやつ)は五代執権の北条時頼が別業を構えていた地で、 執権職を退いた康元元年(1256)から弘長三年(1263)に亡くなるまで時頼はこの地で過ごしていたようです。明月谷にはその時頼が出家するために建立された最明寺がありました。そのような事からこれら旧蹟を伝える碑や時頼の墓とされる宝篋印塔が境内に安置されています。


明月院やぐら


明月院やぐらは鎌倉最大級のやぐらで、明月院開基の上杉憲方の墓と云われてます。ちなみに極楽寺坂にも憲方の墓とされる層塔があります。『鎌倉市史 考古編』によると、元々は羨道があったらしく、現在は崩れてしまっているそうです。 二体の像を取り囲むように、十六羅漢と思われるものが浮彫りされていて、中央には宝篋印塔が置かれています。残念なことに近寄れません。中に入れません。浮彫はかなり風化しているように見えましたが、ここまで豪華な浮彫はなかなかお目にはかかれません。

内壁の浮彫ズーム


アジサイ寺として人気の明月院は、その季節になると日曜日などの休日では入場するのに1時間待ちという状態にもなります。「鎌倉遺構探索」として私は真夏に明月院を訪れました。「アジサイが咲いてないと明月院の価値はないんかい」とツッコミたくなる程ほとんど人がいませんでした。おかげで、このキレイに整った禅寺の境内を思う存分堪能できます。


明月院明月谷に続く


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探索期間 2011年8月~2012年9月
記事作成 2013年7月3日


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