2013年7月1日月曜日

報国寺


山号寺号 功臣山報国建忠禅寺
建立   建武元年(1334)
開山   天岸慧広
開基   足利家時




報国寺縁起


通説では、足利尊氏の祖父で家時が天岸慧広(てんがんえこう)を招いて寺を開いたと云われています。天岸慧広は武蔵国比企郡の生まれで、建長寺にいた無学祖元の下で学び、中国への渡海経験もある禅宗(臨済宗)の高僧です。


報国寺の開創は建武元年(1334)と伝えられていますが、『足利系図』では文保元(1317)に足利家時が没しているので、この時点で家時開基説は成り立たないことになってしまいます。これには「文保元年六月二十五日切腹 三十五歳、号報国寺殿 法名義恩 贈従三位」と記されていることからも、家時の寺号が報国寺殿、法名を義恩、そして文保元年(1317)6月25日に切腹したということがわかります。家時が報国寺殿と呼ばれていたので、一概に家時開基説を否定するのも難しそうですが、その他『報国寺記』には上杉重兼が開いたと記されており、『鎌倉市史 社寺編』をはじめとする専門書の多くは、上杉重兼開基説をとっているようです。


報国寺のある宅間谷には、元々足利氏の邸もしくは持仏堂があったところを上杉氏が寺院として整備しているという見解もあることから、家時の持仏堂が報国寺となったと考えても決して不自然ではないのかもしれません。また、上杉重兼は足利尊氏とは従兄弟にあたり、報国寺殿と呼ばれた家時とも血縁関係があります。


休耕庵跡


報国寺裏にある竹庭は、休耕庵という報国寺塔頭の跡です。開山の天岸慧広死後、門徒が開山塔として作ったものです。


庭を取り囲む丘陵にはやぐらがいくつかみられます。特に石塔が安置しているのが遠目でも確認出来る3つの横穴は、残念ながら一般の拝観者は近づくことはできないようです。報国寺によると、足利家時と足利義久の墓があるそうなので、やぐら内に見えた石塔類が該当するのかと思われます。


見せてくれないやぐら内の石塔が気になりますが、『鎌倉市史 考古編』では、宅間谷やぐら群の項で「この他報国寺裏に三穴ある」とだけ記してありました。同書におけるパターンとして、近世以降に整備されるなどの価値を見出せにくいものにはあまり触れないという傾向がみられます。ですから、あのやぐらにある石塔は著者である赤星先生が興味を示さない程度のもの、つまり本人達の墓塔として本物なのかどうかかなり不確かなものである可能性が考えられます。が、いかがなものでしょうか。

寺域を囲むように施された切岸 3穴の他にもやぐららしき横穴が確認できる

現在、竹の寺として有名な報国寺ですが、『鎌倉市史 社寺編』では、中世の旅行者が報国寺に立ち寄った形跡がないことを指摘していました。鎌倉府消滅の後、報国寺が早々に衰退してしまったのか、もしくは往時ではそれほど有名なお寺ではなかったのかもしれません。


JR鎌倉駅から金沢、もしくは太刀洗行きのバスに乗って浄明寺で下車します。人気のお寺なので、拝観者も多く、日曜・祝日ではこの禅寺の雰囲気を堪能するのは難しいかもしれません。


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記事作成  2013年7月1日

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