2013年6月25日火曜日

瑞泉寺


山号寺号 錦屏山瑞泉寺
建立   嘉暦二年(1327)
開山   夢窓疎石
開基   二階堂道蘊


保寿庵

瑞泉寺縁起


瑞泉寺(ずいせんじ)のある谷戸を紅葉ヶ谷(もみじがやつ)と云います。山号の錦屏山(きんぺいさん)とは瑞泉寺を囲む山々の紅葉した景観があたかも錦の屏風のようだったことから由来すると云われています。嘉暦元年(1326)に夢窓疎石(むそうそせき)が二階堂の地に南芳庵を建て居住し、翌年の嘉暦二年(1327)に瑞泉寺の前身である瑞泉院を二階堂道蘊(にかいどうどううん)が夢窓疎石のために創建したことから始まります。

本堂

鎌倉幕府滅亡の後も足利基氏が中興の開祖となり、鎌倉御所から厚い庇護を受けており、往時では関東十刹の首位に列せられ、塔頭十二院を抱える大寺院でした。 貞治六年(1367)に大檀那である足利基氏が亡くなると、遺命によってここ瑞泉寺にて葬られます。 瑞泉寺が鎌倉公方の塔所となった瞬間ですが、『鎌倉市史 社寺編』によると、「瑞泉院が瑞泉寺となったのはこの時ではなかろうか」と推測しています。



夢窓疎石


開山の夢窓疎石は、北条氏に足利氏、そして後醍醐天皇をはじめとする皇族と、何とこの時代の全ての権力者から帰依を受けています。7人の天皇から国師号を授けられた世にいう七朝国師とも呼ばれ、作庭師として定評のあった名僧です。世界遺産でもある京都の西芳寺や天龍寺などの作庭は夢窓疎石の代表作と云われています。 当時は夢窓派と呼ばれる一大教団が確立される程の云わばカリスマでした。鎌倉中の禅寺に庭園の造作は多々みられるものの、ここ瑞泉寺の庭園が有名なのは、この夢窓疎石が作庭したと伝わっているからです。



瑞泉寺庭園遺構


夢窓疎石が作庭したと云われる庭園は、瑞泉寺裏山である錦屏山の山腹に窟穴と切岸を施し、そこから十八ヵ所曲がる道が山頂に続きます。頂部には偏界一覧亭(へんかいいちらんてい)なる小亭が当時築かれていました。


2つある窟穴を天女窟・葆光窟(ほこうくつ)と云い、崖上には山の絞れ水を集める貯清池があって、必要に応じて滝のように水を落とす仕組みとなっています。実際にも発掘調査において、雨落溝と思われる遺構が池の前面で確認されています。


現在ではそんな都合よく水が流れて来ないためか、何度目かの訪問の際、池の水を抜き(多分清掃のため)、またホースで水を溜めているところを見かけました。ちょっと珍しかったので、その時の画像を今回使用しています。未だそれほど親しくない女性のメイク前の顔をネットにアップしてしまうようなものでしょうか、申し訳ない心境です。また、残念なことに、一般の拝観者が立ち入れない方丈裏手からこの庭園池を眺めるように作られているようで、更には足利基氏をはじめとする氏満、持氏などの歴代鎌倉公方の墓がその奥にあるそうです。

どこも苦地蔵堂

瑞泉寺裏山


瑞泉寺裏山は天園ハイキングコースの一部ともなっていて、とても散策しやすい環境にあります。古道跡にひな壇状地形などが確認できますし、尾根道も庭園の一部なのかと思う程に細かい削り跡の造作がみられます。

裏山尾根ハイキングコース

また、一帯は瑞泉寺裏山やぐら群と呼称される、大よそ80基ものやぐらがこの裏山に分布しています。

瑞泉寺裏山やぐら群


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カテゴリー 探索記事(エリア別 二階堂・天園
記事作成  2013年6月25日

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