2013年6月19日水曜日

称名寺旧境内


称名寺絵図並結界記


下絵図は称名寺境内絵図で、なんと、元亨三年(1323)の鎌倉時代当時に描かれたものです。 浄光明寺のご老公が、往時に描かれた境内絵図は鎌倉では(多分鎌倉市ではという意味)うちと円覚寺にしか残されていないと話していたので、ここ金沢を含めると、その残された絵図はこの称名寺のものを加えた三社ということになります。 更に厳密に言うと、浄光明寺と円覚寺の絵図は幕府滅亡(元弘三年1333)直後に描かれているので、この称名寺絵図は往時の鎌倉という範囲内においては最古の境内絵図になると思われます。


白の数字①金堂②平橋③反橋④△美女石⑤山門(仁王門)⑥金沢顕時・貞顕墓⑦隋道⑧金沢実時墓⑨住職墓⑩△八角堂広場
赤の数字①新宮②称名寺③三重塔④僧坊⑤両界堂⑥護摩堂⑦講堂⑧方丈⑨鐘楼⑩雲堂⑪庫院⑫無常院⑬浴室⑭東司⑮僧庫⑯地蔵院⑰行堂⑱骨堂⑲経蔵⑳次郎入道墓

※白の数字は現存もしくは再現されているもの 赤の数字は現存しないもの △は当時からあったものなのか不明なもの

作庭には性一法師が携わったと伝えられていて、平安時代中期以降に盛んになった浄土曼荼羅の構図に基づき造られた浄土庭園の系列にある基本的な形態を残す最後のものと境内の案内板にありました。

阿字ヶ池にある美女石と呼ばれるもの 金沢四石の一つ

称名寺は、金沢流北条氏の実時、顕時、貞顕と代々手を加え整備されてきました。この絵図に記されているのは貞顕が文保三年(1319)から翌年の元応二年にかけて造営した称名寺の完成形、もしくは絶頂期時代です。
金沢家の菩提寺から鎌倉幕府のために祈祷を行う権門寺院への昇格にあわせた大規模な造営であったと永井晋先生の著書にありました。


発掘調査の結果


発掘調査の結果、各建物跡で礎石などが確認されています。講堂(絵図赤⑦)だけは亀腹状の基壇がみられたとのことで、他の建物とは造りが違ったようです。 そして浄光明寺や多宝寺跡と同じく、ここでも永福寺の瓦が発見されています。 このことから、称名寺の苑池、二階堂、阿弥陀堂、三重塔などを配した伽藍配置は、永福寺をモデルにしたと考えられているそうです。

両界堂・講堂・方丈などがあった場所
絵図から比定するに、地蔵院の辺り 地形に起伏がみられる

絵図でいう⑯の地蔵院辺りなのか⑱の骨堂位置なのかちょっと断定出来ませんでしたが、丘陵部寄りに3~4基のやぐららしき横穴を確認しました。
開口部が小さく羨道もないので室町期のやぐらでしょうか。ただちょっといつも見るものとは違うようにも思えます。


阿弥陀堂跡と当寺檀那


絵図赤の②には称名寺という建物が描かれていますが、これを阿弥陀堂とも云うそうです。 金堂と共に本堂としての役割があった重要な建物かと思われます。 ここは残念な事に江戸時代に既に削平されてしまい、この阿弥陀堂に比定できる建物跡を確認できなかったそうです。


ただ、この画像の生い茂る草木の中に、顕時と貞顕の墓所がここより一段高くなった平場に存在します。私は読み取れませんでしたが、絵図には「貞顕宗顕」「顕時恵日」と墨書きされているそうです。
ここには大きめな2基の五輪塔とその他小さいものが配されています。安山岩製のいかいも律宗のものであろう立派な五輪塔でした。残念なことに絵図に記されたその墨書きが後世の加筆であるようなので、100%本人達のものであるかは微妙なようです。

伝金沢顕時の墓

石塔の下からは蔵骨器が見つかっています。東勝寺で自刃したはずの貞顕の遺骨を拾い集めたのか?という多少のツッコミどころもあるようです。
そんなことから現在では、絵図に記された貞顕の墓を顕時に、顕時と記された墓を貞顕としているようです。


絵図はこの檀那墓所の辺りをクローズアップしたものです。②に何か描かれていますが、これは隋道を示すそうです。


その場所には確かに隋道があります。大きさ的にはやぐらが貫通したぐらいのものでしょうか。ちょうど金沢邸跡とも云われる金沢文庫のある場所に通じています。金沢家の人達や称名寺の高僧などが行き来した通路だったのかもしれません。

本願同谷殿


下絵図は上の称名寺絵図でいう白⑧位置をクローズアップしたものです。 絵図の中でも最も色の薄い部分なので見づらいかもしれませんがご了承を。


左側の①は中心伽藍から離れた丘陵部奥にある実時の墓所で、「本願 同谷殿」と記されています。3基の石塔が描かれていて、右端に宝篋印塔らしき石塔がありますが確認できるでしょうか。

実時墓所

実際に現地ではその実時の墓と云われる宝篋印塔と五輪塔が並んでいました。その実時の宝篋印塔が部位欠損したあまりにもブチャイクなものであったため、このようなアングルの画像を使用しました。ただ、こちらもその宝篋印塔以外は安山岩製の見事な五輪塔です。
称名寺の開基となる最も敬意を払うべき対象の人物の墓がこのように山奥にある理由が分かりませんが、もしかしたら逆にこの方が人里離れた廟所といった感じで丁重に扱っているという事なのかもしれません。 また絵図②には先代次郎入道墓と記されていますが、一体誰のことやら、詳しい資料を見つける事が出来ませんでした。



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記事作成  2013年6月19日

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