2013年6月12日水曜日

多宝寺跡 覚賢塔


山号寺号 扇谷山多宝寺
建立   弘長二年(1262)
開山   忍性
開基   北条業時



多宝寺縁起


泉ヶ谷、浄光明寺の隣に位置する多宝寺は、律宗寺院で、極楽寺開山の忍性が、弘長二年(1262)から文永四年(1267)までの約5年間ここに住していました。いつ廃寺となったのか明記する資料を見つけられませんでしたが、『新編鎌倉志』では寺跡と紹介されているので、少なくとも江戸期には既に廃絶していたようです。また、開基が北条業時、開山に忍性と伝わっています。北条業時は極楽寺流派で、普恩寺流北条氏とも称され、お隣浄光明寺の開基で六代執権の北条長時の弟にあたります。この長時・業時兄弟が極楽寺の発展に力を注いでいました。忍性はこの極楽寺流北条氏の系列に特に気に入られていたようです。

多宝寺跡平場

多宝寺跡と伝わる平場は、鎌倉の地形と同じく馬蹄形をしているようですが、画像を見ての通り、生い茂る草木によってその形状を確認する事は出来ません。現地では、そう言われれば馬蹄形をしているかもしれないと思う程度に実感できます。その馬蹄形に沿ってやぐらが壁一面に施されています。浄光明寺の阿弥陀堂に近い造作だと感じました。長時・業時兄弟が仲良く隣同士にそれぞれ寺院を建立しているので、設計も似たのでしょうか。そうすると、浄光明寺と同じく、多分、現在住宅地となっている地上部に拝殿や塔頭などがあって、この山腹にある平場には、本堂なり何かしら重要な建物があったのかもしれません。また、この平場では戒壇跡が確認されているそうです。

丘陵部西側に施されたやぐら群

覚賢塔


そしてなんといっても、特筆すべきは、この覚賢塔と呼ばれる約3m程の巨大五輪塔でしょうか。五輪塔は、覚賢という多宝寺長老の墓塔で、嘉元四年(1306)頃の造立である事が分かっています。鎌倉期の石造物とは思えぬ程キレイです。多宝寺が律寺である事からも、安山岩製で、しかも忍性が西国から呼び寄せた大蔵組という技術の高い石工職人が関わっているからなのでしょう。

覚賢塔

この覚賢が亡くなった後、順忍という後の極楽寺長老三世となる人物が奈良の元興寺からここ多宝寺に赴任していることが分かっているので、覚賢は忍性が極楽寺に入った後の多宝寺住持後継者であったようです。また、この順忍のたどった経歴をみる限り、現代風にいうところの、支社(多宝寺)で結果を出したサラリーマンが本社(極楽寺)の役員に迎えられるようなものでしょうか。少なくとも多宝寺が極楽寺グループの傘下であったのは間違いないようです。『鎌倉廃寺事典』には、極楽寺・浄光明寺とともに律宗の主要な寺であったと記されています。


切岸にされた壁面は結構高さがありました。一番上のタイトル画像などからも伝わるでしょうか。かなり雰囲気があって、鎌倉廃寺マニアにはたまらない物件です。


多宝寺の地形形状


平場の東側側面に隣の谷戸とを間仕切る尾根があります。こちらも大部削平されているように思えるので、何かしらの施設があったのかもしれません。

削平された尾根

その先には地上に下りて行けるいかにも人工的に手を加えられたであろう尾根がみられました。

地上に下りて行ける尾根

佐竹邸跡一升枡にもあった形状に似ています。この形状を城郭の色合いの強い遺跡で見ると城郭に見えましたが、こうして多宝寺という寺院跡と分かったうえで見ると、ただの地上と山腹の連絡路にみえます。ただ、ここ泉ヶ谷は、巨福呂坂亀ヶ谷坂に近接する事からも、軍事的な要素が強かったことは明らかで、丘陵部に残るそれら土木遺構を城跡と捉える資料もみられました。相変わらずですが、鎌倉遺構は難しいです。丘陵部壁面東側に施されたやぐら内には、覚賢塔ほどではありませんが、1m程度の大きさの石塔が置かれていました。

丘陵部東側のやぐら

また、最上階の尾根には、尾根道とは別に堀切状の通路が残されています。つまり尾根道が二本となるのですが、この地形の用途が分かりませんし、なかなか出会った事のない地形のため興味を惹かれました。

堀切状通路

近くには堀切が見られたので、それに付属した造作なのかもしれませんが、この堀切はいわゆる通路となる掘割状が交差しているだけのものにも見えます。

堀切

多宝寺と浄光明寺との明確な境目が分かりませんが、一応地形に高低差がみられる場所があります。それとも兄弟寺院だったから境目はなかったのかもしれませんね。

浄光明寺へと続く平場


より大きな地図で 泉ヶ谷 を表示

カテゴリー 探索記事(エリア別 泉ヶ谷
記事作成  2013年6月12日


泉ヶ谷関連記事


浄光明寺

赤橋流北条氏の菩提寺で旧態地形や鎌倉期の遺跡が残存する魅惑のお寺

多宝寺跡 覚賢塔

旧態地形が残された寺院跡に鎌倉期の巨大五輪塔がそびえる

東林寺跡

特殊形態アパートやぐらを擁する浄光明寺の支院跡

相馬師常墓やぐら群

相馬天王社跡に残された相馬師常の墓と伝わるやぐらに迫る

泉ヶ谷 ~浄光明寺敷地絵図

鎌倉期に描かれた浄光明寺敷地図から往時の泉ヶ谷の全貌が明らかに!