2013年6月10日月曜日

浄源寺跡


上行寺東遺跡


金沢にある上行寺東遺跡では、やぐら43基、墓壙22基、井戸2基、池状遺構1基の存在が確認されており、それにともない陶磁器、石塔、古銭、銅製品などの遺物が出土しています。信じられないことに、何とこれら全てが、たかがマンションの建設のために破壊されてしまったそうです。現在ここにこうしてある遺跡は、横浜市が造形保存と称するガラス繊維とセメントで再構築されたレプリカです。遺跡群の中でも上段を形成していたものだけを復元したようなので、この丘陵一帯にはそれら多くの失われた遺跡が存在していたもようです。


実はこの遺跡が、松尾剛次著『持戒の聖者 叡尊・忍性』によるところ、忍性が住持していたとも云われる浄源寺跡である可能性が高いようです。『性公大徳譜』によれば、弘長元年(1261)に釈迦堂(新清涼寺)に住したのが、従来の忍性の鎌倉入りだったとされていますが、『金沢龍源寺略縁起』によれば、忍性正嘉年間(1257~1259)金沢龍源寺(龍華寺)の前身である浄源寺に住していたと伝わっています。この説をとれば、忍性の鎌倉入りが少し早まる事になります。

半壊した坐像と思われるもの

また、(忍性が)三村寺から鹿島を出て、海沿いもしくは利根川を渡って六浦にやって来ていてもおかしくはないと同書では肯定的に推測していました。浄源寺は、治承年間(1177~1181)源頼朝が伊豆の三島大明神を金沢の瀬戸神社に勧請し、文覚とともに伽藍を建立した別当寺で、その後荒廃したことによって、明応八年(1499)光徳寺と合併し、現在の龍華寺となったそうです。

まるで発掘現場に居合わせたように底部まで再現してくれている

金沢流北条氏と忍性


金沢流北条氏実時は、金沢文庫の創設者として、京の公家・貴族などから多くの書物を集めていた事でも知られており、『吾妻鏡』にあった逸話からも、三代執権・泰時のお気に入りでもあったようです。その事からも、実時が勉学に長けていて西国などの情報にも通じていたのは明らかでしょう。幕府にとって利と成り得るであろう律宗の僧侶に目を付けたのは必然だったのかもしれません。そもそも、この実時が忍性を鎌倉に呼び寄せ、更には忍性の師である叡尊の関東下向を促していたとも考えられています。

上行寺東遺跡から見た上行寺

遺跡から直下に見えるのが上行寺です。上行寺は日蓮宗ですが、こちらの寺縁起によると、その昔は律宗で、金勝寺と称していたそうです。ですから上行寺東遺跡浄源寺であれば、この辺り一帯が律宗寺院の土地柄であったのでしょう。その他にも上行寺には、境内の壁一面に施されたやぐらに、安山岩製の見事な宝篋印塔が残されていて、これらの事からも、少なくともこの遺跡が律宗に関連した寺院であったのは明らかなのだと思われます。

また、この地はかつて弘法大師が修行したということから、弘法山とも云うそうです。そして「つれづれなるままに~」でお馴染みの『徒然草』の著者、兼好法師とも吉田兼好とも云われる卜部兼好がこの山に一時住んでいたと伝わっています。 こちらは、本人の著書でも金沢に昔住んでいたという事が記されている他、兼好の兄が実時の孫にあたる金沢貞顕に仕えていた、もしくは親しい間柄であったと云われているので、かなり信憑性が高いようです。この兼好の事例からも、当時、律宗を鎌倉に取り入れたかったのであろう実時が、自分の所領である金沢で、しかも頼朝が創建したとも云われる由緒ある寺院に忍性を住まわせていてもおかしくありませんね。

上行寺東遺跡から見た金沢の街並み

上行寺の縁起には、山門前に舟繋ぎの巨松があったと伝わっています。六浦・金沢の歴史を調べると分かるのですが、当時はここから見える景色の半分以上が海となっていました。そういえば、仏法寺跡や称名寺などの同じく律宗寺院からも海が見渡せました。



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カテゴリー 探索記事(エリア別 六浦・金沢
記事作成 2013年6月10日

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