2013年5月30日木曜日

極楽寺坂


極楽寺坂


極楽寺坂は、長谷方面と七里ヶ浜方面を往来する道で、京と鎌倉の往返路です。つまり西側からの玄関口として使用されていました。元々は稲村ヶ崎を通る海岸沿いの古道があったのですが、それに代わる道として開削されたようです。


開削時期が不明であるものの『吾妻鏡』建長四年(1252)の記事によると、第六代将軍宗尊親王が稲村ヶ崎経由で鎌倉入りしている事が分かるので、それ以降から忍性が極楽寺に入る文永四年(1267)辺りまでに開削、もしくは少なくとも造道工事の着工がはじまったと考えるのが妥当なようです。関東大震災によって、この辺り一帯の丘陵部が広範囲に大崩落したようで、極楽寺坂は近現代においてかなり掘り下げられてしまいました。 以前は成就院とほぼ同じ高さにあったそうです。

極楽寺境内絵図 クローズアップ 白の点々が極楽寺坂

極楽寺境内絵図によると、坂を下りた辺りに施薬非田院・坂下馬病屋などが描かれています。これらは極楽寺地区に多数あった病院施設の一つです。当時、医学知識に長けている浄観房性全と称した、梶原氏の一族とも云われる梶原性全という僧侶がいました。 性全は忍性と同じく叡尊の弟子である事から、忍性とは兄弟弟子にあたるのでしょうか。忍性の慈善・救済活動を支えていた人物の一人で、この非田院などにも顔を出していたのでしょう。非田院位置は現在でいうところの五霊神社前辺りになるようです。また、成就院は、元弘三年(1333)新田義貞の鎌倉攻めの際に焼失したため、一時的に西ヶ谷に移転していたので、極楽寺境内絵図のこの場所には描かれていません。


星ノ井


坂の下にある星ノ井は、井戸の中をのぞくと昼でも星が輝いて見えたことからこの名がついたと云われています。星月ノ井・星月夜ノ井とも呼ばれ、この辺りの字名を星月ヶ谷と云っていたそうです。


平安時代中・後期の歌人が、ここ極楽寺で詠んだとされる歌に「星月夜」という言葉が使われていることから、少なくとも鎌倉時代から「星月夜」なる呼称があったようです。ある時、女性が井戸水を汲もうとして包丁をこの井戸に落としてしまってから輝く星が見えなくなってしまったとも云われています。



星ノ井のすぐ側に行基が虚空蔵菩薩像を彫って本尊としたのが始まりと云われる虚空蔵堂があります。忍性が行基と聖徳太子を信仰していたそうです。鎌倉でよく見かける六地蔵も近くにありました。



西方寺跡


坂を上った途中にある小谷戸が西方寺跡と云われています。境内絵図にも描かれています。谷戸内はあらゆる箇所をコンクリートで舗装していましたが、元々の地形をそのまま固めたような微妙に旧態を残す趣きでした。西方寺は、明月院の開基としても知られる関東管領・上杉憲方に関連するお寺だったようです。管領様の邸、もしくは別業がこの辺りにあったのかもしれません。という事は、鎌倉幕府が滅んだ後、権力者が変わっても、極楽寺口が重要な鎌倉の出入口であったのは変わらなかったようですね。


極楽寺坂という道ですから、やっぱりありました庚申塔。西方寺跡の小谷戸に行く階段にひっそり置かれていました。


そして、極楽寺坂を挟んだ対面に、入っていいのか悩んでしまう民家の隙間を行くと、上杉憲方の墓と伝わる層塔があります。中央の七層のキレイな石塔です。側には妻とも一族のものとも云われる五層塔やその他石塔が並べられています。『かまくら子ども風土記』には永和五年(1379)の銘を持つ宝篋印塔があると記してありましたが、どれのことなのか分かりませんでした。



極楽寺


坂を上ると、西ヶ谷方面と月影ヶ谷方面に行く岐れ道となり、その奥に極楽寺があります。極楽寺は、北条重時の持仏堂とも云われるもともと深沢にあった寺が移転してきたものと伝えられています。忍性が極楽寺に入ったのが文永四年(1267)の重時の七回忌追善時なので、本格的な極楽寺伽藍の整備は、重時の子である長時・業時兄弟によるものと考えられています。また、重時の妻と長時夫妻らが忍性の師である叡尊から受戒し、教団に深く帰依していたそうです。




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記事作成  2013年5月30日

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