2013年5月17日金曜日

光明寺


山号寺号 天照山蓮華院光明寺
建立   寛元元年(1243)
開山   然阿良忠
開基   北条経時



光明寺縁起


光明寺は、浄土宗の関東総本山です。開山は浄土宗第三祖の然阿良忠(ねんなりょうちゅう)、開基が四代執権の北条経時で、仁治元年(1240)に鎌倉入りした良忠のために、北条経時が佐助ヶ谷に建てた蓮華寺が、寛元元年(1243)に現在地に移り光明寺に改められたと伝えられています。
江戸時代には、浄土宗関東十八壇林の第一位に格付けされています。つまり関東浄土宗の学問所の筆頭として栄えていました。
境内は広く、惣門から山門、そして本堂まで続くかなり長い距離が一直線のラインで連なっており、江戸時代から格式高いお寺だったことを伝えてくるようです。 本堂がいつも開けられているようで、そこから蓮の池の庭園、三尊五祖の石庭などが見学できます。

三尊五祖の石庭


三尊五祖の三尊とは、阿弥陀如来、観音、菩薩の浄土宗の仏様のことで、五祖とは、お釈迦様から、浄土宗の宋祖である法然に、第二祖の鎮西、第三祖の良忠など、5人の高僧を指します。これら仏様と高僧を石で表した庭が三尊五祖の石庭です。


蓮池の庭園


本堂から開山堂に連なる渡り廊下を進むと、蓮池が印象的な記主庭園を眺める事が出来ます。奥に見える建物は大聖閣と書院。ちなみに、本堂も普通に見学させてもらえます。


石造地蔵菩薩


右が鎌倉期のものと思われる板碑。左の地蔵は光明寺裏山にあった地蔵窟に収められていたもので、「発願満福寺住侶教義 勧進聖尚養寺常住西連 正中二年乙丑九月二十四日仏師沙弥」などの碑文が刻まれています。 これら碑文から、地蔵像の発願者が満福寺の教義で、勧進役が尚養寺の西連、そして正中二年(1325)にこの地蔵が造立されたことがわかります。


内藤家墓所


境内から少し離れた所に、光明寺が管理する江戸時代の大名、内藤家の墓所があります。鎌倉期の遺構ではありませんが、まさにこれぞ遺跡といったこの景観に心を奪われてしまいました。4~5mもの宝篋印塔が60基ほど、その他、燈籠や地蔵に手水鉢など、全部で大よそ160基ほどの石造がこの一画に安置されています。
内藤家は、藤原氏秀郷流の後裔と云われ、松平氏、徳川家康に仕え、上総佐貫、陸奥などに封ぜられています。そういえば比企氏も藤原氏秀郷流を祖としていたので、遠からず鎌倉とも関係があったのかもしれません。内藤家にも流派が多くあるようで、こちらの墓所には、嫡流と思われる日向延岡家に、陸奥湯長谷家、磐城平家の墓塔が並んでいます。


良忠上人廟所


光明寺裏山は、ほぼ宅地化されその旧態を失っていますが、こちらの良忠上人廟所と、稲村ヶ崎方面を展望出来るポイントに、そのわずかな名残りを確認する事が出来ます。また、光明寺の開基と云われる四代執権北条経時の宝篋印塔もここに安置されていて、「蓮華寺殿当山願主安楽大居士」と塔身に刻まれていました。大居士とあるので、残念ながら石塔は近世以降のものと思われます。

良忠上人御廟


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探索期間 2012年8月
記事作成 2013年5月17日



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