2013年5月20日月曜日

やぐら


やぐらとは


鎌倉地方周辺において、山腹の岩を四角にくりぬいて作った穴を「やぐら」と呼び、それらは主に墓場として用いられていました。 発掘される遺物から、やぐらは13世紀後半から造成されたと考えられており、また、それら遺物の多くが14世紀~15世紀にかけたものであるため、 鎌倉が政治の中心地であった時期と一致することからも、主に武士や僧侶などの階層によって営まれたものと考えられています。


やぐらの造営とその目的


やぐら内部には、低壇に遺骨を納める納骨穴や扉を取り付けた跡などの造作が施されています。 内部には五輪塔や宝篋印塔などの石塔類の他、火葬骨、骨壷の他、塔婆、写経石などが納められていました。また、内壁は漆喰で平らに白塗されていたので、往時の姿は現在我々が確認できるやぐらとはかなり印象が違って見えたのでしょう。

低壇が施されたやぐら
やぐら壁面に残る漆喰の跡

一方で、朱垂木やぐら群、百八やぐら群などの一部には納骨穴のみられないものが存在します。これらは供養を行うために造営された仏殿としての役割であるものと考えられています。また、浄光明寺の網引地蔵やぐら、神武寺の弥勒地蔵やぐらなどは、本尊としての仏像が安置されたうえに、納骨の場としても用いられています。 つまり、これらの事から、やぐらとは遺骨を納める場であると共に供養する場でもあったようです。

本尊としての仏像が安置されたやぐら

五輪塔と地蔵が彫られたやぐら


やぐらの形状


やぐら室内を玄室、入口部分を羨道と呼びます。やぐらの形状や大きさは様々で、四角い平面の一般的なタイプの他、少数の異型態として、アーチ型、船底型などがあって、壁面に仏像、梵字、五輪塔、宝篋印塔などが浮彫された豪華なものもみられます。 また、室町期では羨道のないコンパクトなタイプへとその形状のトレンドが変わっていったようです。

地蔵、梵字、五輪塔が彫られているやぐら


やぐらの起源


諸説あるものの、その起源として、古墳時代に営まれた横穴墓の再利用や、中国の石窟文化を真似たものなどの説が考えられています。
また、江戸期に編算された『新編鎌倉志』に「鎌倉の俗語に巌窟をやぐらと云なり」という記述が文献上において確認された「やぐら」という言葉の最も古い記述であって、当の鎌倉期において、やぐらをどう呼称していたのかはっきりと分かっていません。『吾妻鏡』『神明鏡』などの古文献の記述から、「いわや」「石蔵」などと呼ばれていた可能性が考えられています。

明月院やぐら 壁一面に座像と十六羅漢が浮彫されている