2013年4月7日日曜日

比企ヶ谷 妙本寺


山号寺号 長興山妙本寺
建立   文応元年(1260)
開山   日朗
開基   比企大学三郎能本



妙本寺縁起


カリスマ源頼朝亡き後の混迷期に、新たな将軍家外戚として権力をその手中に握りかけた比企能員でしたが、建仁三年(1203年)北条氏等によって一族共々粛清される運命を辿ります。その後、この比企一族の邸地跡に、一族の生き残りである比企能本が、日朗を開山に迎え、文応元年(1260)妙本寺が建立されます。長興とは比企能員、妙本とはその室の法名と云われています。境内には蛇苦止堂や新釈迦堂跡といった一族に関連する史跡が残されています。

比企一族の墓

比企一族の興亡


比企尼と呼ばれた比企掃部允の妻は、源頼朝の乳母で、頼朝の伊豆流刑の最中にも生活費の援助などを行っていました。そのため頼朝から母と慕われる存在だったと云われています。そうした事情を活用してか、頼朝が鎌倉を本拠地として以降、比企尼は多くの娘達、そしてそのまた孫娘達を、有力者に嫁がせていくことで「鎌倉」におけるポジションを確立させていくこととなります。極めつけは、二代将軍頼家の乳母に、甥で家督を継がせた比企能員の妻が選出されたうえ、能員の娘となる若狭局が頼家に嫁ぎ、嫡男となる一幡を産んでいます。こうして勢力拡大を続ける比企一族と、旧勢力である北条氏との間に、確執が生じるのは当然の成り行きだったのでしょう。 

一幡の袖塚 比企の乱の終結後、焼け残った一幡の振袖が発見された事に由来する

将軍の頼家が病に倒れるという絶好の機会に、北条時政は比企能員を謀殺し、御家人等に命じ、一幡をかくまう比企一族諸共急襲して滅ぼします。さらに病から回復した頼家は、伊豆の修善寺に幽閉された後に暗殺されています。北条時政は当初から頼家とその嫡子(一幡)を政権から排除する機会を狙っていたようで、頼家の実質上の軍事力となる比企一族を滅ぼすのは、時政の計画上不可欠な事だったのでしょう。


竹御所跡(新釈迦堂跡)


竹御所と呼ばれた源媄子は、二代将軍頼家の娘で、諸説あるものの母は上記した比企能員の娘、若狭局と云われています。比企の乱の生き残り組で、当時未だ幼かった彼女は、北条政子などの庇護を受けて成長します。 28歳の時に当時13歳であった四代将軍藤原頼経の妻となり、その後懐妊したものの難産だったようで、死産だったうえに本人もそれが原因で亡くなります。彼女の墓所はここ新釈迦堂と伝わる地に建てられていました。当時は法華堂のようなものがここに建っていたのだと思われます。当時では晩婚期の28歳まで独身でいたのは、将軍との政略結婚のためでしょう。せっかく争乱から逃れたものの、結局は北条氏の政治のカードとして利用されています。

竹御所の墓所であった新釈迦堂跡 現在は中央最奥に観光客用に石が置かれている

讃岐局と若狭局


妙本寺境内西寄りに蛇苦止堂があります。北条正村の娘が比企能員の娘の亡霊に憑依されたため、彼女を祀る社を建てたのが、蛇苦止堂で、『吾妻鏡』にもその旨が載せられています。憑依された正村の娘がどうやら蛇のような動作をしていたようです。ですから「蛇苦止堂」とは「蛇の苦しみを止める」という事のようです。ちなみに、比企能員の娘とは讃岐局という女性で、蛇苦止堂にある池、もしくは井戸に飛び込んで自殺したと云われています。妙本寺では、この讃岐局と若狭局を同一人物としており、更には妙本寺の開基である比企能本は、讃岐局の弟となるそうです。

蛇苦止堂の池

竹御所が亡くなり源氏の血筋が絶えた際、藤原定家が「平家の遺児らをことごとく葬った報い」と『明月記』に記してあります。この時代、有力者が亡くなると、大抵にして本人もしくは一族が生前に行った殺生の祟りだと噂になります。正村の娘が憑依されたのは文応元年(1260)、比企の乱から57年後の事。北条氏側、もしくは霊媒師の類が、その原因を比企能員の娘の霊とした辺りは、比企の乱が北条氏側にとって、祟られてもおかしくない程の後ろめたい出来事だった、もしくは凄惨な事件だったという事を表しているのではないでしょうか。



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探索期間  2011年7月~2012年7月
記事作成日 2013年4月7日

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