2013年3月27日水曜日

東勝寺跡 ~東国の王の寺④


東勝寺からの景色


東勝寺裏山からは、六浦道が通る大倉地区に巨福呂坂方面、そして鎌倉の中心部までが見渡せました。更に連なる丘陵を南下すれば、名越・材木座に由比ガ浜を一望する事が出来ます。即ち、東勝寺裏山からは鎌倉旧市街地のほぼ全方向を展望出来る事となります。つまりこれは、そう活用されていたかどうかは別として、鎌倉の物流の要となる六浦道・山内道に、そして名越・材木座に和賀江嶋の港という商業地区の監視が可能となります。


『中世鎌倉の発掘』では、東勝寺跡の発掘調査において、伽藍跡が見つかっていない事から、寺というより館としての色合いが強かったのではないかという指摘に加え、石垣の形式が他の寺院では見られないものだったり、笄(こうがい)といって、禅宗の寺院からは発掘されにくい遺物が見つかるなど、いくつもの疑問が東勝寺に残されている事が記されています。東勝寺跡発掘に関わった学者先生方の残した「東勝寺には軍事施設的側面があったと推測される」といういまいちはっきりしない歯切れの悪い見解は、この寺とも城とも言いいきれない葛西ヶ谷の状況を、ある意味的確に表現しているのだと思いました。果たして東勝寺は当時の寺院の概念に沿った施設だったのでしょうか。少なくとも寺院としての範疇を超えた施設が葛西ヶ谷にあった事は確かなのでしょう。

東勝寺からの逃走ルート


鎌倉の発掘調査では、葬送の段階において、首と胴体の扱いにはっきりとした違いが確認されてる事からも、自刃した北条高時の首を朗従などの残兵が何処かに持ち去っている可能性は非常に高いと考えられます。 小富士山からは大御堂ヶ谷や大倉地区から北へ、屏風山東勝寺切通からは名越西ヶ谷や衣張山へと、思ったよりも多方面に向かう事が出来た東勝寺裏山から続く尾根道は、自刃する最後まで高時などの北条氏一門に付き添っていた朗従などの逃走ルートとして使われたはずです。


北条高時の首は何処へ


『新編鎌倉志』には「北条首やぐら」と「お塔の窪やぐら」が北条氏一門の墓だと記されています『鎌倉市史 考古編』では、「釈迦堂口」にあるやぐら群から正慶二年の刻銘がされた五輪塔地輪部分が発見されたとありました。正慶二年、つまり元弘三年(1333)、鎌倉幕府滅亡の年です。『十二所地誌新稿』によると、「霧ヶ谷」にあるやぐらを北条氏一門の墓と記してあり、また貝吹地蔵というこちらも元弘の乱に関連した伝承を持つ地蔵がこの辺りにあります。伝承はほぼ十二所の奥にある月輪寺があったと推定される牛蒡ヶ谷(御坊ヶ谷)や馬場(番場ヶ谷)周辺に集中します。更に『鎌倉廃寺事典』によると、日輪寺という高時の護持僧である栄海が寺務別当を務めたとされる寺があったと記されており、それを『十二所地誌新稿』では十二所の何処かにあったと記しています。

当時、新田勢は巨福呂坂、化粧坂、極楽寺坂と、鎌倉の西側から攻勢を仕掛け、稲村ガ崎を突破し、東勝寺の南西方向から攻め上がってきます。残兵が逃げるのであれば、東勝寺から見て東北方面に向かうのは必然でしょう。その方向には、発掘調査で確認された大町釈迦堂口遺跡に、伝承が残る十二所の奥地が控えています。


頼朝亡き後、将軍の権力を無効化させ、自らが実質上のトップとして君臨したきた北条氏でしたが、鎌倉末期、高時の時代では、その北条氏がお飾りの将軍の如く、神輿に担ぎ上げられている状態となっていたようです。当時、高時の嫡子を擁立する御内人(得宗家家臣)の長崎円喜・高資親子と、高時の弟泰家を推す有力御家人の安達時顕のそれぞれが政治の主導権を握ろうとせめぎあっていました。こうした状況を打破すべく、高時は長崎親子の排除を試みますが、事前に情報が漏れ、その暗殺計画は未遂に終わっています。後に暗君として物語に描写される要因となった、高時が闘犬や田楽に興じたのはこの頃からとされています。元弘三年(1333)5月22日、日輪寺殿崇鑑、享年31歳でした。



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探索期間 2011年7月~2012年7月
記事作成 2013年3月27日

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