2013年3月14日木曜日

東勝寺跡 ~東国の王の寺②


前回に続き、東勝寺跡~東国の王の寺その②です。今回は東勝寺の裏山である屏風山の詳細をレポートします。丘陵部各所には色々な造作がみられましたが、今回は「S字状堀切道」「切通し路」「地頭墓所」の3箇所をピックアップしました。

『宝戒寺境内領地図』 東勝寺跡部分

上画像は江戸期に作成された『宝戒寺境内領地図』(以下絵図)の東勝寺跡部分で、白の点々がハイキングコースです。絵図は西側が下になります。絵図下部の東勝寺橋から東勝寺跡を通り、丘陵部に登ります。尾根に出て南下、絵図でいう右側に進んで行きます。

S字状堀切道


『東勝寺跡・妙本寺周辺現状測量調査報告書』(以下調査報告書)にS字状堀切道(S字状鞍部)という記載がありました。ハイキングコース序盤に現れます。Sという文字を地形に確認できるというより、カーブ状ににアップダウンを繰り返している広範囲箇所を指していると思われます。つまりこれによって、侵入者の進攻スピードを妨害できるようです。


ちなみに宝戒寺絵図のこの辺りの丘陵形状をよく見ると、S字状に見えないこともありません。つまり少なくとも江戸期には既にこのような地形であったと考えられ、ということは鎌倉期から既にあったかもしれない可能性も考えられます。また、絵図は丘陵の形状をなるべく正確に描いているように思えます。江戸時代の絵図といっても侮れませんね。

東勝寺切通


下画像は南西支谷奥部をクローズアップしたものです。中央支谷と南西支谷奥を間仕切るかのような尾根がある辺りから、ハイキングコースより一段低い平場が現れます。平場は尾根道と並行し、南下するほど尾根道との高低差を縮めていきます。

『宝戒寺境内領地図』 南西支谷奥部分

その先に、ハイキングコースから名越西ヶ谷側に向かって大規模な掘割状地形が確認できます。調査報告書ではこれを東勝寺切通と呼称していました。「埋もれた古道跡」といった雰囲気に毎度感動してしまいます。絵図を見ると確かに尾根道と交差する道筋が描かれています。(赤の点々が東勝寺切通、白の点々はハイキングコース)葛西ヶ谷南西支谷から名越西ヶ谷に向かう丘陵越えの道のようで、ちょうどこの下に現代建築のトンネルが開通しているので、もしかしたら近現代まで使われていたのかもしれませんね。

「東勝寺切通」 掘割状を上から撮影したもの 傾斜のある坂道となっている

現状で確かめられるのは尾根道から名越方面への道で、こちら葛西ヶ谷側は藪の中に隠れてしまって確認できません。この名越側の切通し路を実際に歩いてみると、長い間使われていないためか、地盤が緩いうえに傾斜がきついので、とても歩きづらかったです。さて、ここで面白いことに、先程述べた山腹の平場が、ちょうど東勝寺切通の南西支谷側と交える位置にあるので、この道に関連した平場の可能性が高いようです。この平場がどう使われていたのかはわかりませんが、調査報告書ではこの平場から「横矢を射れる」とありました。

盛り上がった地形が物見台 赤の矢印が東勝寺切通の道筋 白の矢印がハイキングコース尾根道

そして更に、この東勝寺切通と尾根道が交わる箇所に、一段高く盛り上がった地形が現れます。これを調査報告書では物見台と記しています。確かにちょうど東勝寺切通の真正面から見下ろせる位置にあります。物見台に登ってみると、頂部が土塁状のように削られていて、少なくとも人工的に造作されたものだというのが分かります。尾根より一段高いこの形状は、しばらくの間ハイキングコースと高低差を保ちながら祗園山方向へと並行しています。東勝寺切通前後に平場・物見台といった土木遺構がこれだけ集中していますが、実際に往時ではどのように活用されていたのでしょう。

地頭墓所


ハイキングコースを外れ、南西支谷を取り囲む西側の丘陵部へ向かう尾根道を進みます。しばらくして南西支谷の住宅街に下りていく事ができます。尾根から下りた先は、近現代の墓地となっていて、無縁仏と思われる古そうな石塔が丘陵部寄りに並べられています。(今回ヘッダー下の東勝寺跡のタイトル画像として使用した場所です。)

左が丘陵部から見た現代の墓地エリア 右上が丘陵部に並べられた無縁仏群 右下が墓地の用具置き場として使用されていたやぐら

宝戒寺絵図ではこの墓地を「地頭墓所」と記してあります。中でも無縫塔が多くみられました。『鎌倉市史 考古編』によると「無縫塔は江戸時代以後に僧侶の墓として一般に使用された」とあったので、無縁仏の大半は江戸期のものであるようです。確かにそれ以上時代を遡る石造類が見当たりません。近世から営まれた墓地なのでしょうか・・しかし、墓地の隅にやぐららしき横穴が確認できたので、もしかしたら、ここが鎌倉期に廟所として使用されていたからこそ、そのまま近世でも墓地として活用された可能性も考えられます。もしもここが鎌倉期からのものであれば、きっと得宗家の霊廟でしょう。伝承がないだけで、もしかしたら超大物の墳墓道などがあったのかもしれません。

地頭墓所 丘陵部から下りてくる道 なんと宝戒寺の絵図にも描かれている

鎌倉では天園ハイキングコース覚園寺総門跡口や大仏坂の火の見下口など、峠坂の出入口にはやぐらが作られています。切通し路とやぐらがセットになっているのは、道の向こう、または境界の向こうを異界と捉えるこの時代の人々ならではの造作と考えてほぼ間違いないと思います。葛西ヶ谷南西支谷には、やぐらと切通しがありました。きっと東勝寺切通は鎌倉期の遺構であって、更に南西支谷最奥には東勝寺の裏門のような出入口があったのではないでしょうか。



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探索期間 2011年7月~2012年7月
記事作成 2013年3月14日

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