2013年3月13日水曜日

東勝寺跡 ~東国の王の寺①


東勝寺跡 ~東国の王の寺①


東勝寺は北条得宗家の氏寺で、新田義貞の鎌倉攻めにおけるクライマックスの舞台となった、云わば鎌倉幕府終焉の地です。跡地及び裏山丘陵部は、鎌倉の中心部にありながら奇跡的にも近現代の宅地開発の難を逃れ旧態を留めています。地中や丘陵部に多くの貴重な遺構が眠るだけでなく、鎌倉末期における最高権力者に深く関わる土地柄だけに、東勝寺跡は鎌倉でも屈指の史跡と言えるでしょう。


東勝寺縁起


『本朝高僧伝』によれば、開山は栄西の弟子である退耕行勇(たいこうぎょうゆう)、開基は三代執権の北条泰時と伝えられています。創建年月日がやや不明であるものの、退耕行勇が仁治二年(1241)に死去しているので、少なくともこれ以前には建立されていたと考えられているようです。 また、嘉禎三年(1237)12月13日、北条泰時が母の供養のため退耕行勇を招き、墳墓の傍らに寺を建てたという記事が『吾妻鏡』にみられます。この寺を大船の常楽寺とするのが一般的ですが、一方で、これを東勝寺の開山とする意見もあるそうです。

東勝寺跡平場

元弘三年(1333)、反幕府勢力の攻撃に耐え切れず、北条一族283人をはじめ870余人が、ここ葛西ヶ谷の東勝寺で自刃します。その際にお寺は燃やされましたが、その後に再建され、室町時代には関東十刹第三位に列せられます。その後に東勝寺が廃された具体的な時期はわかっていませんが、元亀四年(1573)に東勝寺の寺領が建長寺の僧侶に与えられているという記録が残されているので、少なくともその頃には東勝寺は廃絶していたようです。

東勝寺の山号寺号である青龍山東勝寺とは専門家によるところ「東国の王の寺」もしくは「龍(三つ鱗紋の北条)が西(朝廷)に勝つ」といった意味を示す見解があります。青龍とは、四神相応によるところの東の守護神を意味します。常に西国を意識してきた東国武士らしいネーミングですね。

葛西ヶ谷の軍事施設的側面


東勝寺はコの字型の丘陵に背後を囲まれる事によって、それらを自然の要害とする鎌倉寺社の典型的な形態をとっています。葛西ヶ谷最大の特徴は、この谷戸を囲むように流れる滑川によって谷戸内への進入路が東勝寺橋に限られるという点でしょうか。丘陵が城壁となり、川が水堀となる中世山城の概念にも通じる軍事施設的な側面を兼ね備えています。

『新編鎌倉志』 宝戒寺の項挿絵より ①東勝寺跡 ②滑川 ③宝戒寺 ④横大路 ⑤小町大路

東勝寺のある葛西ヶ谷は、扇状に拡がる3つの支谷(中央支谷北東支谷南西支谷)から構成されています。源頼朝の家子(親衛隊のようなもの)メンバーでもあった葛西清重の館があった事に地名が由来するようです。

『宝戒寺境内領地図』の東勝寺跡部

上画像は江戸期に作成された『宝戒寺境内領地図』の東勝寺跡部分です。絵図は西側が下になります。探索して確認できた主な遺構を絵図にてプロットしてみました。ちなみにS字状堀切道物見台といった城郭の専門用語については、鎌倉風致保存会の『東勝寺跡・妙本寺周辺現状測量調査報告書』を参考に引用しています。裏山には大小様々な堀切に、城壁のように急峻に削られた尾根など、城郭遺構ではないかと考えられる造作が各所でみられました。往時の葛西ヶ谷への侵入は極めて困難なものだったと思われます。


発掘調査の結果


葛西ヶ谷ではひな壇状4段の平場が造成されていて、室町期に大規模な埋め立てが行われていた事が分かっています。また、東勝寺跡と云われるこの平場からは、石敷スロープ状遺構、門跡、三鱗紋平瓦、方丈と思われる堀立柱建物跡、鎌倉石を五段積み上げた石垣などが出土しています。

「左上 中央支谷平場底部 石組みがみられる」 「左下 南西支谷住宅街に使われていた石材」 「右 中央支谷平場前 石積みの高さが本来の土地の高さ」

そして何と言っても、14世紀に比定できる赤変した(火災跡)石列が検出されたとのことから、東勝寺跡と伝わってきたこの地が、現代の発掘調査によって北条一族の腹切り現場であったことが証明されています


腹切やぐら


東勝寺跡平場最奥丘陵部寄りにある腹切やぐらには「自刃した北条氏一門等の遺骨を埋葬した」「残兵がここに逃れて自殺した」などの伝承が残されています。『鎌倉市史 考古編』に、やぐら内には鎌倉時代末期の多宝塔があると記されていましたが、多宝塔の各部が損傷したり失われたのでしょうか、ちょっと多宝塔とは言いづらい姿形をしています。更に、この多宝塔の下と壁面に沿った底部に穴が開いていて、どうやら合葬という形で遺骨が埋められている可能性が高いようです。
宝戒寺はこの腹切やぐらで「日輪寺殿崇鑑」つまり最後の得宗執権である北条高時を弔っています。




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探索期間 2011年7月~2012年7月
記事作成 2013年3月13日

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